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特集3 古書の森の女性たち

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古本共和国 第12号('97)
業界アルバイト・彼女の場合 花井 薫

いったいいつ頃から続いているのか知りませんが、古書業界には「業界アルバイト」なる人たちがいます。彼ら(もしくは彼女ら)は、古書会館で行われる即売会やデパート展のときに、特定の本屋さんや即売会全体の手伝いをしています。お店で働いている人もいれば、即売会や市場、デパート展だけという人もいますが、おもしろいのは特定の書店で働いている人も、即売会やデパート展では、ほかの書店に属することもあるということです。この流動性こそが「業界バイト」と呼ばれる所以。「FROM A」なんかじゃ絶対募集しないので基本的に全員口コミで集まってきた人たちです。学生もいますが、もうとっくに学校を卒業した人もいます。で、彼女もそのひとりでした。

このアルバイトをはじめて3年になる彼女は、この業界のアルバイトには珍しくで戻りだそうです。まあ、この業界に限らず、いったん就職したのに学生時代のアルバイトに戻ってくる人はあまりいないと思いますが、学生時代、就職活動の合間に2度ほどデパート展をお手伝いしたことがあるらしいです。当時、業界バイトとしてそれほど活躍していたわけではありません。だから、その頃の彼女を知る人は本屋さんにもほとんどいないでしょう。彼女自身も、2年後に再び古書業界に戻ってきて、まさか3年も働くなんて夢にも思っていなかったと言っています。

彼女は大学卒業後、神保町のほど近くにある業界新聞社に入社しました。しかしその会社は、彼女を(正確には彼女を含むほかの社員もですが)会社から追い出してしまったので、入社間もない彼女は、学生時代の友人のつてでもう一度戻ってきたのでした。当時のことを彼女はあまり話したがりませんが、実は彼女が戻ってきてこのバイトを始めたとき、彼女の身分はまだ会社員だったそうです。このあたりの彼女の会社のことは、岩波書店から出ている「世界」一九九七年五月号の「労働組合って何だ?」(清水直子著)というルポに一部書かれています。

実は彼女、神保町にはいい思い出がありませんでした。そこは、彼女がまだ「二十歳の原点」の高野悦子も通っていた女子高の学生だったときに、一度来ようとしたことのがある、しかしたどり着けなかったという曰くつきの場所でした。森本哲朗の作品の中に「一番好きな場所は神田の古書店街」という記述を見つけてから、「神田の古書店街」は彼女のあこがれの地だったのです。田舎でも古書店巡りを日課にしていたことは確かなのですが(いや、もちろんそれだけじゃなくてバンドのライブなどにも行きまくってましたが)、「東京には道の両側に古本屋さんがびっしり並んでいるところがあるらしい。しかも、十月には古本祭りをしているらしい」という情報は、心をくすぐりました。十月の最終日曜日、友人と二人電車に乗って目指す目的地は「神田の古書店街」でした。

古書店街は「神田」です。「神田」ってんだから「神田」に行けばなんとかなるだろう、と田舎の女子高生は考えたのでした。浅はかです。日曜日の神田駅周辺は閑散としていました。どこにも祭りの喧騒はありません。結局、彼女たちはかろうじて開いていたラーメンをすすり、古書店街にたどりつけぬまま、また来たルートを戻っていったのでした。家に帰って、古書店街は神田ではなく神保町にあるのだということを知ったのです。しかもその神保町は、バンドのライブでよく行っていた武道館がある九段下の次の駅でした。

話がかなり脱線してしまいましたが、その神保町にある東京古書会館です。幸いなことに、今度は場所が分かっていたので迷うことはありませんでした。午後一時に集合といわれた彼女は、訳もわからず会館の三階に連れて行かれました。「とりあえず座って」といわれたので座っていると、目の前に表のようになっている用紙(4枚複写)とたくさんの封筒が配られました。「封筒に書いてある書名と値段を書いて。書き終わった封筒は、この四角い枠の中にチェックして、ここに入れて・・・・・」

おそらく、市場のことを知らない人には何のことだか分からないと思います。もちろん彼女にも分かりませんでした。ただ言われたことを機械的に処理して、おやつのドーナツを食べて、最後に表に書かれた金額を計算して一日が終わりました。初めての場所で初めてのことをする緊張で、すごく疲れたことだけ覚えています。あのとき、自分がしていたことが市場の中でどういう意味があるのかわかったのは、少し後になってからです。彼女がやっていたのは、「ヌキ」と呼ばれる作業で、入札によって落ちた本と値段をリストアップすることなのですが、間違うと「大事故」を引き起こしかねない大切な作業です。しかし、そのときの彼女は知る由もありません。

さて、訳もわからぬまま東京古書会館で「ヌキ」デビューした彼女が、次に手伝ったのは、穴八幡神社の早稲田青空古本祭りでした。「ヌキ」は古書会館の三階で座ってひたすら書く作業です。早稲田の青空古本祭りは文字どおり屋外、立ち仕事です。ここで彼女は再びカルチャーショックを受けます。

みなさんご存知のこととは思いますが、古書店の即売会の初日、たくさんの方が開店前から行列を作っています。午前十時の開店と同時にそのたくさんの人が雪崩のように会場に押し寄せてきます。そして、一通り会場を一周するのに一時間から一時間半。つまり、午前十一時くらいから午後一時くらいまで帳場は戦場と化すのです。息をつく暇もないくらいとはまさにこのこと。三年経った今となっては、当たり前の忙しさですが、即売展の初日を手伝ったことがなかった彼女は、そのすさまじさに当てられてしまいました。

本の最後のページに貼ってある札の下半分を切って、値段を計算して、お金をもらって、おつりを渡して、本を包んで、抽選券を古書店街の割引券を渡して、「ありがとうございました」やっと終わったと思って一息つくと、そのお客さんの後ろにはまだまだたくさんのお客さんが、両手に本を抱えて待っている。逃げ場はありません。慣れない手つきで一人ずつこなしていくしかないのです。さすがの彼女も、その日の昼食時は食欲を失っていました。訳がわからないまま何とか午後七時まで頑張って、棚の整理をして家に帰ってきましたが、ふと気がつくと手も足も蚊に刺されまくっていました。

十月の穴八幡は、今でも蚊が多いし、会期中に必ず一度は雨が降るみたいです。彼女が初めて行ったこの年もそうでした。雨が降ると会場は大変です。まず、テントの屋根がない平台にビニールのシートをかけます。そして、風で飛ばされないように紐でぐるぐると縛ります。ことのときに雨が吹き込まないように細心の注意を払います。その辺り本屋さんはやっぱりプロです。慣れています。早いです。勝手の分かっていないアルバイトなんぞ、下手に手出ししない方が、仕事がスムーズに進むくらいです。彼女も結局ほとんどなにもしなかったようなものです。ただ、「すごい」と思いながらみていただけでした。にわか雨ならすぐ止んでしまうこともあります。そのときは、またシートをはずします。本を濡らさないように、水のたまったシートを外すのはなかなか難しいのですが、これも本屋さんは当たり前のようにすばやく片づけます。手際の良さはこれだけではありません。本を片づけるときも、梱包するときも、思わず見とれてしますほどでした。

やがて6日間が過ぎました。彼女以外のアルバイトは、みんな早稲田の学生だったので、かなり浮いた存在だったのは確かだったろうと思うのですが、それがかえっておもしろかったのかいろんな人にお世話になったそうです。

この頃の彼女を知る人は「妙な悲壮感が漂っていた」といいます。彼女自身も「仕事もお金もなくて(今もあまりあるとはいえないみたいですが)、どうしていいのかわからなかったけれど、この早稲田の 6日間はいろんな人によくしてもらって楽しかった。どう、お礼していいのかわからないけど」と語っています。

さて、ちょっと特殊なケースである彼女の場合をご紹介したわけですが、「業界アルバイト」は彼女のほかにも何人かいます。古書展をよく回っている方は「古書展に行くたんびに見る若い子がいるけど、本屋さんには見えないし、その割には慣れているようだし、いったいあの子たちは何なんだ」と思っているかもしれません。それがおそらく古書の「業界アルバイト」のメンバーです。前述のように、学生もいれば、社会人もいます。社会人のほとんどは、学生時代からこの業界でアルバイトをしていて、その後学校を卒業しても続けている人たちです。この人たちは実に個性的です。アーティストもいれば、女優もダンサーもいます。みんな夢の途中で、本業だけではなかなか生活していくのが難しいのでバイトをしているのです。だから、今後も暖かく見守ってやってください。そして、こういう若者を抱えていられる古書業界の懐の深さも、やっぱりすごいと私は思います。

古本共和国 第12号('97)

2004年07月21日

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