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早稲田で読む早稲田で飲む【第18回】

第18回 神田川沿いの想い出(前篇) 南陀楼綾繁

 現在では、ヨメの手によりバリカンで五分刈りにされている
南陀楼のアタマだが、以前は多少の苦労があった。ぼくの髪は
太くて硬いうえに、つむじがおかしな位置にあるので、七・三
にしても真ん中分けにしても収まりが悪い。10年前の免許証の
写真を見ると、えっ、こんなヘンな髪型だったっけ? と思って
しまう。

 大学に入りたての頃には、モテたいとかカッコ良く(とまで
行かずとも、まあ人並みに)見られたいという色気があった。
だから、最初のうちは、整髪料を買ったり、美容室でパーマを
掛けたりと、ムダな努力もした。しかし、食費を切り詰めて本
を買っているので、あまりカネを掛けずにそこそこオシャレな
髪型にできないものか? と思うようになった。いま考えると、
なんの努力もしないのに、その発想自体が不純というか不遜で
ある。この辺からだんだん間違った方向に入り込んでいく。

そこで思い出したのが、学内の掲示板で見た貼り紙だった。
理容師の養成学校なら、1000円以下で髪を切ってくれるのだ。
……ただし、理容師のタマゴである生徒の実習としていであるが。
この時点でヤメておくべきだったが、もはやオシャレよりも
安さに目が行っているから止まらない。高田馬場の「さかえ
通り」を抜けて、神田川を渡り、西武新宿線の踏切近くにある
その学校(いま調べてみると、「東京美容専門学校」という
名前だった)に、髪を切りに出かけたのだった。大学2年の
6月のことだ。

 学校の中の実習室に入ると、そこはチェーンの理髪店そっくり
な造りで、まあイイじゃんと思った。散髪だけだったら800円程度
だったが、パーマが1000円で掛けられる。とにかく安いという
事実に、つい舞い上がって、「パーマお願いします」と云って
しまった。勿論、大間違いの選択だった(ファッションに関する
ぼくの判断は、つねに間違っている)。

 ハサミをにぎるのは、自分と同じか年下の、手つきの怪しい
タマゴたち。先生は横についているが、まずいところを自分で
直してくれるのでもなく、批評するだけ。「切りすぎちゃった
ね……まあイイか」。このまあイイかが、怖かった。責任とって
くれないのかよ、先生! そして、いよいよパーマである。コレ
がまたえらく時間がかかった。いくらコテを当てても、髪に
ウェーブが掛かってくれず、ベタッとしたままなのだ。髪の毛が
悪いのか、腕が悪いのか、2時間近く費やしたのではないか。

 さて、出来映えであるが、どこがパーマなの? という感じで
あった(じっさい、友人にはほとんど気づいてもらえなかった。
哀しい)。打ちのめされた気になり、散髪とパーマであわせて
2000円(安いなあ)を支払った。帰り道、ドブくさい神田川の脇
を通りながら、「安物買いの銭失い」というコトバが脳裏をよぎった。

(この項つづく)

☆著者プロフィール--------------------------------------------------------
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。
現在、ライ ター・編集者。「sumus」「サンパン」「本のメルマガ」などの同人として、
本 に関するあれこれを書き散らす。
世界初(自称)の古書目録愛好フリーペーパー 「月刊モクローくん通信」を発行中。
問い合わせはメールで。kawakami@honco.net
▼日記『ナンダロウアヤシゲな日々』 http://d.hatena.ne.jp/kawasusu/
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2004年11月15日

投稿日 : 2004年11月15日

早稲田で読む早稲田で飲む【第17回】

第17回 生協書籍部との5年間【本部篇】 南陀楼綾繁

 早大の本部生協は、西門通りを出て右側の建物だった。隣は
テニスコートだったと思う。入口の辺りには自動販売機があっ
たりして、学生の溜まり場になっていた。入った年の4月にこの
辺で、荒木経惟がサイン会をやっていた。小林信彦との共著
『私説東京繁盛記』(中央公論社)の販促だったが、いま調べて
みるとこの本は1984年に出ており、なぜ二年後にサイン会を
やっていたのか謎だ。白夜書房の編集者・末井昭氏がヨコにいて
サックスを吹いていたのも、謎だった。しっかり二人分のサイン
をもらったが。

 それはさておき、教育学部の前の広場を抜けて小さな門から
外に出ると、すぐヨコに階段があり、そこから生協の裏口に入れた。
書籍部に行くのに、そのルートを愛用した。今日はナニか新しい
本が入ってるかな、と期待しながら、狭い階段を下りていくとき
のカンジが好きだった。本部の書籍部は、文学部の生協の数倍の
広さがあり、理工書、政治、経済、法律などの専門書、洋書、
学術雑誌などが揃っていた。ぼくが専攻した歴史学やサークルで
やっていた民俗学の本も、コッチのほうが量が多かった。見つから
なければ注文して取り寄せることもできた(けっこう早く届いた
ように思う)。

 本部の書籍部を本格的に使うようになったのは、おそらく3年生
の頃。当時、「早稲田カード」とかいう、大学発行のクレジット
カードを手に入れ、それで本を買いまくった。一月に3万とか4万
使い、それを6回とか12回の分割で支払う。よく考えたら(いや、
考えるまでもなく)、分割手数料がものすごいのだが、前に買った
本を引き落としで現金がなくなってしまい、それでまたカードで
支払うという悪循環だった。一歩間違えば、新刊本でカード破産して
いたかもしれない。

大学を卒業してからも、生協は使っていた。大学院の試験に落ちて、
一年間、「研究生」という、まあ聴講生みたいな身分だったのだ。
授業に出たコトはほとんどなく、図書館と生協を使う権利を確保する
ために、親に授業料を出させたようなものだった(いまさらだが、
両親に感謝)。この年の7月10日の日記には、以下のようにある。

「生協に行く。橋本治の『桃尻娘』完結編はいまだに出ない(あとで
東販ニュースをみると、また一カ月のびて8月10日になったとのこと)。
『近代庶民生活誌 天皇・皇族』『南方熊楠アルバム』『美酒ミステリー
傑作選』『小さん集』『正蔵・三木助集』などをもってレジへ行き、
『明治編年史』と一緒に精算」

『近代庶民生活誌』は三一書房から刊行されていたシリーズで、
一巻8000円ぐらいだった。『新聞集成 明治編年史』全15巻は、戦前
に出たものの縮刷復刻版(本邦書籍)で定価は8万円。つまり、この日
だけで10万円近くの出費だ。もちろん、このあと2年近く掛けて分割払い
したはずだ。すでに、ゆまに書房でアルバイトをはじめていたとは云え、
尋常ではない。

 ぼくにとって大学生協は、必要な本を安く買えるありがたい場所で
あるとともに、毎月大量に新刊を買ってしまう習性をもたらした、
うらめしい存在でもあるのだった。

☆著者プロフィール--------------------------------------------------------
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。
現在、ライ ター・編集者。「sumus」「サンパン」「本のメルマガ」などの同人として、
本 に関するあれこれを書き散らす。
世界初(自称)の古書目録愛好フリーペーパー 「月刊モクローくん通信」を発行中。
問い合わせはメールで。kawakami@honco.net
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投稿日 : 2004年11月15日

早稲田で読む早稲田で飲む【第16回】

第16回 生協書籍部との5年間【文学部篇】 南陀楼綾繁

 先日、部屋の整理をしていたら、大学一年生から二年生にかけての
「金銭出納帳」が出てきた。こんなの付けてたコトすら忘れていた。
たんに項目ごとに金額が並んでいるだけなのだが、いろんなことを
思い出した。

 当時のぼくは、親からの仕送りが4万円、育英会の奨学金が4万円
の計8万円で生活していた。部屋代は四畳半で2万円。残り6万円が
生活費だ。アルバイトはまだほとんどやってない。そんなギリギリの
生活なのに、「新刊」「古本」「貸本」の支出がヤタラ目立つ。それら
を合計した本代は、4月が4万1960円、5月が3万6870円、6月が
3万2980円……という具合。完全に半分を本代につぎ込んでいる。
一方、食費は200円、335円、586円とつつましすぎる。1000円超えてる
日がホトンドないぞ。ナニ喰ってたんだろう? こういう状況なので、
本は一銭でも安いトコロで買うに限る。なので、入学してスグに生協に
入会した。本が一割引で買えると知ったからだ。

早稲田の文学部の生協に行くには、スロープを登るのではなく、
生協食堂の右側の狭くて急な石段(北村薫の落語家円紫シリーズ
――『空飛ぶ馬』だったかで――、この石段が出てくる)を上がる
のが近道だ。生協は半分が売店、半分が書籍部になっていたと思う。
書籍部はけっして広くはナカッタが、さすがというべきか、岩波書店・
みすず書房・白水社あたりを軸に、文学・歴史・社会学などの本が
かなり揃っていた。文庫も多くはないがそれなりにあり、中公文庫
などものちに品切れになり「sumus」の連中が血眼で探し回るような
タイトルが売れないママ棚に差されていたと思う。タイムマシンが
あれば、行って買い占めたいところだ。

 通常は一割引だが、フェアによっては15パーセント〜20パーセント
割引になっていた。版元ごとのフェアのほか、大学出版、歴史出版社
などのグループでのフェアがあった。新学期には教科書や授業で指定
されたテキストも、ココで買った。とにかく大学に行ったら、授業は
出なくても、書籍部だけには行っていた。

 しかし、いま振り返ると、文学部の生協だけ使っていた時期はまだ
カワイイものだった。このあと、本部の生協を使うようになると、
恐ろしい買い方になっていく。そのハナシは次回に。


☆著者プロフィール--------------------------------------------------------
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。
現在、ライ ター・編集者。「sumus」「サンパン」「本のメルマガ」などの同人として、
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投稿日 : 2004年11月15日

早稲田で読む早稲田で飲む【第15回】

第15回 〈ACTミニシアター〉の昼下がり【後篇】 南陀楼綾繁

(前回から続く)

 〈ACTミニシアター〉で観た映画を、1990年〜92年の「映画鑑賞
ノート」から拾ってみよう(製作年は略)。この時期の〈ACT〉は、
「日本映画をおもしろくした100人」という監督・俳優別の特集を
長期にわたって続けていた。

【1990年】
8月2日 小津安二郎『大学は出たけれど』『落第はしたけれど』
『生れてはみたけれど』
11月4日 成瀬巳喜男『めし』『石中先生行状記』
【1991年】
1月19日 クレージーキャッツ『香港クレージー作戦』
『クレージー作戦 くたばれ!無責任』
2月2日 『無責任遊侠伝』『ホラ吹き太閤記』
3月1日 『クレージー大作戦』
6月29日 衣笠貞之助『ある夜の殿様』、山本嘉次郎『馬』
8月24日 市川崑『プーサン』、小林正樹『あなた買います』
【1992年】
5月5日 ロベルト・ロッセリーニ『アモーレ』『無防備都市』
6月13日 小津安二郎『浮草』『小早川家の秋』

 ノートを見ると、この時期は池袋の〈文芸座〉〈文芸座ル・ピリエ〉、
銀座〈並木座〉、早稲田〈早稲田松竹〉〈パール座〉などにも通い、
〈大井武蔵野館〉では「第二回全日本とんでもない映画まつり」という
特集で、『東京ディープスロート夫人』『神田川淫乱戦争』『変態家族・
兄貴の嫁さん』というカルト三本立てや、『秘録 長崎おんな牢』
『発禁・肉蒲団』『くの一忍法・観音開き』という時代エロ三本立て
を必死こいて観てたのだから、こっちも元気だったし、名画座にも
まだかろうじて活気が残っていたと云えるだろう。

 〈ACT〉でいちばん多く映画を観たのは、たぶんこの翌年あたり、
入場料が割引になる会員証をつくって観まくったときだと思うが、
その頃の記録は見当たらない。大学生から大学院浪人、バイトしな
がらの大学院生活という長い宙ぶらりんの時期に、〈ACT〉の床に
転がって観た映画の何本かは、いまでも脳裏に焼きついている
(たとえば、オールナイトで観たマキノ雅裕の『次郎長三国志』)。
 昼から二本立ての映画を観て、外に出ると、もう閉める準備に
かかっている古本屋に飛び込んで、映画の本や雑誌を買った。ウチ
に帰ると、さっきの映像を反芻しながら、映画の本を読むのだった。

 〈ACT〉には1997年頃まで通い、池袋にできた〈ACT SEIGEI-THEATER〉
で、『どろろ』の全話上映なんてのも観たのだが、まず池袋が消え、
早稲田の〈ACT〉もいつの間にか映画をやらなくなってしまった。誰に
聞いても、「そういえば最近やってないねえ」と云うばかりで、正確
なところは覚えてない。今でも看板は残っているのだが。
 あそこで働いていたヒトたちはどこに行ったんだろうか? そして、
フィルムや図書室(けっきょく一度も利用しなかった)の資料たちは。

【余談】
〈ACT〉の下の郵便局には、まだ当時台数が少なかったATMがあり、
親からの仕送りを下ろすためによく利用した。この頃は、土曜日は
たしか昼まで、日曜日は完全に使えなかったし、いまみたいに銀行
とのネットワークもなかったので、一度下ろし忘れると悲惨なこと
になった。大学に戻り、部室にいた奴に、二日間しのげるだけのカネ
(2000円とか)を借りたこともあった。


☆著者プロフィール--------------------------------------------------------
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。
現在、ライ ター・編集者。「sumus」「サンパン」「本のメルマガ」などの同人として、
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投稿日 : 2004年11月15日

早稲田で読む早稲田で飲む【第14回】

第14回 〈ACTミニシアター〉の昼下がり【前篇】 南陀楼綾繁

 早稲田の古本屋街のちょうど中ほど、〈安藤書店〉の隣の郵便局
の二階に、その映画館はあった。階段の上り口には、〈ACTミニシア
ター〉と書かれてあり、その月のスケジュール表(味のある手書き
文字だった)が貼り付けてあった。

 前を通るたびに「入ってみようかな」と思い、『ぴあ』でも
チェックしていたのに、初めてココで映画を観たのは、大学生活も
三年が過ぎてのことだった。入りにくかったのは、なんとなく「高尚」
なイメージがあったからだろうか。午前中のモーニングショーでは、
いつも『カリガリ博士』『アンダルシアの犬』『メトロポリス』
などの無声映画をやっていたし、メインのプログラムも小津安二郎
や成瀬巳喜男など名作中心で、「映画観るならアクションか
コメディ」派には、どうしても入りたいという吸引力が感じられな
かった。
 同じビルには、映画関係の資料を備えた「図書室」があって、タダ
の映画館じゃないぞという自負心がうかがえた。だから、よけい
「映研向け」という感じがあったのだ。

 しかし、〈ACTミニシアター〉が定番の名作しかやらない名画座
だというのは、勘違いだった。同じ作品を何度も掛けるのは、恐らく
そのフィルムを所有していて、コストが掛からないからだろうし
(いまになっての推測だけど)、岡本喜八や鈴木清純の特集上映
だってちゃんとやっているのだ。
 最初にココで観たのが、ナンの作品だったか覚えてないが、
その後、ときどき通うようになった。

 受付でお金を払うと、チラシと飴(たしかミルキーだった)と
ポリ袋をくれる。靴を脱いでポリ袋に入れ、カーペット敷きのフロア
に上がる。客席といっても、椅子ではなく、微妙な段差のあるスペース
に適当に座るのだ。たいていは客が少ないので、寝転んで観るのだが、
オールナイト上映で満員のときは、足も伸ばせず、窮屈な思いをした。
 背後にはわずか20センチほどの背もたれがあって、これがオールナ
イトではマクラ代わりになる(前川つかさの名作マンガ『大東京
ビンボー生活マニュアル』に、〈ACT〉をモデルにしたと思しき回が
あるが、そこでは一人ひとつずつマクラを配っていた)。
 オールナイトのときは、映画が一本終るごとに外に出て空気を
吸ったり、前のコンビニでサンドイッチを買って戻ったりした。
とっくに終電も終った真夜中の早稲田の街で、一体ナニやってるん
だろう。そんなトコロにいる自分がアホらしかったり愉しかったり。

 スクリーンの右手には、大きな寄せ書きがあった。これは1970年代
半ばに〈ACT〉が設立されたとき、準備資金をカンパしてくれた有志
が書いたものだという。中には、後に映画監督や俳優になったヒトの
名前もあったらしいが、細かく見たことはない。

 上映時間になると、チリンチリンと鈴を鳴らし、女のヒトが
スクリーンの右手に手を突っ込んで、空調を止めてしまう。音が
うるさいのだろうが、おかげで、上映中は暑かったり寒かったり
する。後ろのカーテンを閉めると暗くなり、映画がはじまった。

(以下次号)


☆著者プロフィール--------------------------------------------------------
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。
現在、ライ ター・編集者。「sumus」「サンパン」「本のメルマガ」などの同人として、
本 に関するあれこれを書き散らす。
世界初(自称)の古書目録愛好フリーペーパー 「月刊モクローくん通信」を発行中。
問い合わせはメールで。kawakami@honco.net
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2004年10月11日

投稿日 : 2004年10月11日

早稲田で読む早稲田で飲む【第13回】

第13回 青空古本市と早稲田祭 南陀楼綾繁


 去る5月10日から15日まで、早大本部の正門を入ったあたりで、
早稲田の古本屋さん14店が参加して、「青空古本掘り出し市」が
行なわれた。ぼくも当然行くつもりだったが、初日が大雨で、翌日
からは仕事場から抜け出るコトができず、泣く泣く諦めた。
古書現世の向井くんのハナシでは、今年も売り上げ は好調だった
とのこと。

 この「青空」っていつ頃からやってるんだっけ? と調べると、
今年で8回目だった。最初は1997年だというが、行ったかどうか
覚えてない。とにかく気がつけば、毎年5月に構内で古本市を
やってたというカンジである。

そもそも、古本市もその一環である、5月の「オール早稲田
文化週間」というイベント自体が、よく判らない性格のものだ。
東大の五月祭みたいに自主的な性格ではなく、新入生向けとも
云えない。ぼくは第2回(1998年)に「見世物小屋の文化誌」
というのを観ている。見世物研究家の鵜飼正樹氏らの企画で、
人間ポンプ・安田里美の一座を記録した映画の上映と、シンポ
ジウムが行なわれた。

「オール早稲田文化週間」は、毎年秋に行なわれていた大学祭
である「早稲田祭」(第1回は1953年)が1996年に中止になり、
その代替としてはじまった。早稲田祭中止の原因は、学祭の広告費
を、特定の学生団体(革マルですな)に横流ししたとの疑義が
大学側から出されたためだった。でも、そんなコトをいまさら
持ち出さなくても、早稲田祭が革マルの資金源だったことは、
早大生なら誰でも知っている。ナニしろ、学祭期間、学生が構内
に入るためには有料のパンフレットを買う必要があったのだ
(アホらしいから、ゴミ箱からパンフを拾って入場していたが)。
それに、ぼくが属している民俗学研究会にとって、学祭の休み期間
は長期で民族調査を行なえるチャンスだ。だから、早稲田祭の記憶
はまるでない。

 そういうワケで、早稲田祭にナンの思い入れもないぼくは、青空
古本市が開かれるというだけで、「オール早稲田」をひいきにして
きた。穴八幡での秋の古本市に比べれば小規模だけど、BIGBOXより
はイイ本が見つかりやすい。仕事で必要な資料は、ずいぶんココで
買ったなァ。

 その後、早稲田祭は2002年に復活し、今年も行なわれる。だから、
「オール早稲田」は今年からなくなったのだが、古本市は「早稲田
大学支援事業」という名目で継続するコトになった。コレは嬉しい。
ふだん大学に足を踏み入れない(図書館は別の場所にあるので)
卒業生としては、ときどき思い出にひたれるいい機会だ。今後も
続けてほしい。

ところで、青空古本市の行なわれる辺りで、1988、89年頃
(だったと思う)、学費値上げに反対する学生が数人、何カ月も
テントを張ってハンストをやっていた。そんなコトをいま、
ふっと思い出した。


☆著者プロフィール--------------------------------------------------------
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。
現在、ライ ター・編集者。「sumus」「サンパン」「本のメルマガ」などの同人として、
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2004年10月05日

投稿日 : 2004年10月05日

早稲田で読む早稲田で飲む【第12回】

第12回 グランド坂上の「消失風景」 南陀楼綾繁

最近出た、末井昭『スエイ式人生相談』(太田出版)のまえがき
は、こう始まっている。
「高田馬場の白夜書房の近くに、僕が『昭和の遺物』と呼んでいる
『白ゆり』という喫茶店があります。近頃流行りのカフェなんかとは
だいぶ趣が異なり、店内は薄暗く、エンジ色の椅子はボロボロで、壁
にはチープなステンドグラスがはめ込まれ、たまに厨房で喧嘩が
始まったりします。正直言って、コーヒーはそれほど美味しくありません」

で、末井さんがここに座ってボーッとしていると、編集者が人生
相談の手紙を持ってやってくるという。末井さんの答えは、一言で
いうなら「投げやりな正論」で、こんな答えもらってもどうしようも
ナイものなのだが、回答場所は〈白ゆり〉だったと聞いて納得。この
本の書名、『白ゆり人生相談』という案が却下されたらしいが、もし
そういうタイトルになっていれば、「早稲田で読む」のにふさわしい
一冊になっていたのではないか。
 以上、余談。

 さて、大学入学時から数えて18年ほど、早稲田近辺をうろついて
いるのだが、なかでも風景が大きく変わったエリアが二つある。
ひとつは、南門通りの「第一学生会館」があった辺り、もうひとつは
グランド坂上の交差点付近だ。

 グランド坂近辺が変わりはじめた、と感じたのは、まだ在学中の
1980年代末。安部球場を壊して、図書館をはじめとする早稲田大学
の施設を建てはじめた頃だ。安部球場の裏には小さなアパートや
民家があり、そこに住んでいた知人を訪ねて行った覚えがある。
いまその辺りには、新目白通りから早稲田通りに抜ける道路が通って
いる。この道路は、グランド坂の上で、グランド坂通りと出会う。
この道路が完成したのは、1990年代の後半だったと思うが、これに
よって、近辺にあった路地や店は根こそぎ消滅してしまった。

 たとえば、生協食堂の斜め向かいにあった〈大学いも〉。いつ前を
通っても、開いているかどうかが判らない、掘建て小屋みたいな店
だった。たとえば、1993年の6月から12月まで、〈大学いも〉の右手
の小さな道を入ったところにあった〈タコシェ〉。当時は「ガロ」
関係の本やグッズを扱う店で、ガランとした店内で松沢呉一さんと
話した記憶がある(その後、中野ブロードウェイに移転)。残っている
店は、西門通り入り口の〈前野書店〉(建て替えたけど)ぐらいか。

 ただ、こう書いていて、いまいち自信が持てない。現在のグランド
坂上を何度見ても、当時の地図を頭に思い浮かべられないからだ。
消えてしまった風景を、記憶にとどめておくことは難しい。東京の
散歩者・冨田均は、『東京私生活』(作品社)で、すでに無くなった
場所を撮った写真を「消失風景」と名付けて哀惜しているが、誰か、
グランド坂が変貌する直前の「消失風景」をお持ちではないだろうか


☆著者プロフィール--------------------------------------------------------
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。
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2004年09月27日

投稿日 : 2004年09月27日

早稲田で読む早稲田で飲む【第11回】

第11回 巨大図書館の書庫で遊ぶ 南陀楼綾繁

ぼくがときどき早稲田に行く目的はふたつ。一つは云わずと知れ
た古本屋巡りだが、もう一つは、早稲田大学の図書館で調べ物をする
ためである。何しろココぐらい、使い勝手のイイ図書館は少ない。

まず蔵書数がすごい。学部の図書館や教員図書室なども含めた全蔵書
数は450万冊。このホトンドがコンピュータで検索できる。このデータ
ベースは数年前からインターネットでも公開しているので、あらかじ
め調べてメモをつくっておけば時間の節約になる。
 閲覧も自由で、一部の貴重書を除けば、雑誌も書籍も書庫に入って
直接手に取るコトができるし、コピーもコピーカードを買えば取り
放題。試験期間以外であれば学部生は書庫にまで入ってこないので、
静かな空間で過ごす事ができる。国会図書館の混雑ぶりに比べれば、
天国みたいなトコロだ。ふだんはナンのありがたみもないのだけど、
こういうときは早稲田を卒業しておいてヨカッタと思う(現金な)。
 調べ物に疲れたら、二階の参考図書コーナーあたりの閲覧席に
座って一休み。近くには、一般誌から大学紀要までの雑誌最新号が
開架されてるので、気になる記事をパラパラ読む。
 この図書館、ぼくの在学中には影もカタチもなかった。ぼくが
使っていたのは、1882年(明治15年)にできたという古色蒼然たる
図書館で、建物の雰囲気は良かったが、使い勝手は最悪だった。
ほとんどすべての蔵書が閉架書庫にあり、いちいち請求票に書いて
出さなければならなかった。卒論を書くために通っていたときは、
数冊の本を見るために一日ツブレることもしばしばだった。いまの
図書館ができたのは、卒業の翌年の1991年。いま、学生だったら
毎日通うのになァ。
 図書館は卒業生にもオープンだと書いたけど、一カ所、オフリミ
ットがある。それは、書庫の隣にある「閲覧個室」だ。大学院生と
教員だけが使える、鍵のかかる個室で、一度借りてしまえば朝から
夜まで利用できる。図書館ができた当時、大学院に行った先輩が
「あそこはイイぞぉー」と自慢してたっけ。ドアから中が見えない
ので、異性を連れ込んでケシカラヌ行為に及ぶ輩もいたという噂
も……(あくまでウワサっす)。いつかは入ってみたい場所である。
 土曜日も開館してるので、いくつか調べたいコトをメモしておい
て、朝から籠るときもある。昼飯に出るのもメンドくさいので、
夕方までは我慢して、外に出てから早稲田通りの裏にある〈いもや〉
で天ぷら定食を食べる。そのあと腹ごなしに、古本屋を回るのが
楽しみなのだ。図書館と古本屋がいっしょに楽しめるなんて街、
他にそうそうないだろう。
【付記】学外者が早大図書館を利用するためには、残念ながら紹介状
が必要だ。しかし、館内に入るだけなら、30分以内の見学が可能だ。
個人ならインフォメーションカウンターへ、複数人数での見学を希望
する場合は、予め図書館総務課(tel:5286-1652)に問い合わせを。
書庫には入れないけれど、一見の価値はありますよ。
http://www.wul.waseda.ac.jp/CLIB/visitor-j.html

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南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
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2004年09月21日

投稿日 : 2004年09月21日

早稲田で読む早稲田で飲む【第10回】

第10回 午前3時の喫茶〈白ゆり〉 南陀楼綾繁


この連載の第8回に、訂正と補足をしておきたい。
この回では高田馬場駅前の「FIビル」を取り上げているが、そこに
以下の記述がある。

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 2階には、いまはなくなったが、エスカレーターを降りて左に
〈ジャンナン〉という喫茶店があった。以前に触れた「乱調社」の
メンバーが10人ぐらいココに集まり、小さな発表をしたり、雑談を
していた。アルコールなしなのに全員めちゃくちゃアッパーで、
「おたく」から南方熊楠までを口角泡を飛ばして語り合った。店員
の冷ややかな目が忘れられない(笑)。同じ階には、昔もいまも
〈揚子江〉という中華料理屋があるが、入ったことはない。

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〈揚子江〉には、つい二週間前に初めて入った。第8回を読んでメール
をくださった昔の仕事仲間の松江真理子さんが、「学生時代によくコン
パにつかった」とおっしゃるので、ベルギー在住の彼女が一時帰国した
ついでに、この店で会ったのだ。高級そうな店だと思い込んでいたが、
けっこう安くて量があった。水餃子がウマかったことを報告しておく。

 もうひとつ。「乱調社」という集まりについて「以前に触れた」と
あるが、この連載ではまだ触れていなかった。そこで簡単に説明しよう。
「乱調社」は、現在評論家として活躍している浅羽通明さんを中心に、
学生、編集者、研究者、フリーター、神主その他、いろんな人たちが
参加するサークルというか集団で、早稲田奉仕園の部屋を借りて、レ
ポーターを立てての月例会を開いたり、年に数回、研究者や作家を呼んで
の講演会を企画していた。ぼくは当時参加したうちのおそらく最年少
だったが、この場で学んだことは数限りなくあった。

 15年以上前のことになるので、もはや記憶は定かではないのだが、
〈ジャンナン〉を使うのは、奉仕園の部屋が予約できなかったり、人数
が少ないときだったと思う。奉仕園での月例会はだいたい9時頃まで
かかったから、そのあとに行く喫茶店は、かならずといってイイほど
〈白ゆり〉だった。高田馬場駅近く、〈未来堂書店〉の地下にあり、
そのまま地下鉄に降りられるし、ナニしろ朝5時まで営業している。
店は奥行きが深くて、手前には終電を逃したサラリーマンが死んだよう
に眠っている(ときどき店員が起こしていた)。夜が明けたら、その
まま駅前から飯場に直行するであろう男たちもいた。

 いちばん奥には10人以上が一緒に座れる席があり、そこを占領して、
コーヒー一杯で朝までいろんなハナシをした。現代思想、民俗学、
最近の雑誌、学者のゴシップ……。さっきの発表について議論が続く
こともある。腹が減ると、「スタミナ定食」を注文した。他にもメニュー
はあったけど、腹にたまるのはコレぐらいだったような気がする。
朝3時を過ぎると、さすがにみんな疲れ果て、一人また一人とテーブル
に突っ伏していった……。

☆著者プロフィール--------------------------------------------------------
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。
現在、ライ ター・編集者。「sumus」「サンパン」「本のメルマガ」などの同人として、
本 に関するあれこれを書き散らす。
世界初(自称)の古書目録愛好フリーペーパー 「月刊モクローくん通信」を発行中。
問い合わせはメールで。kawakami@honco.net
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2004年09月14日

投稿日 : 2004年09月14日

早稲田で読む早稲田で飲む【第9回】

第9回 親戚のウチみたいな飲み屋 南陀楼綾繁

 昔の早稲田のコトを知るときに、もっとも役に立つのが、昨年出た
『早稲田の学生街60’S-70’S』(まぼろしチャンネル/ラグタイム)
という小冊子だ。1960年代から70年代にかけて早稲田近辺にあった店
について、写真と証言で構成しているのだが、アリガタイのは、大隈
通り、グランド坂通り、西門通りなどの「通り」に当時どんな店が並
んでいたかが略図で示されているトコロだ。著者と編集スタッフが早
大生だった時期が対象なので、1980年代に関してはまるで不親切なの
だが、それでも知っている店のルーツがたどれるので重宝している。

 たとえば、グランド坂通りにある〈キッチンミキ〉のヨコを入った
ところにある〈澤田屋〉という麻雀屋。老舗の蕎麦屋〈金城庵〉の近く
にある。ちょっと驚くような立派な門の奥にある、木造の家なのだが、
「学生同士で雀荘に行く」という習慣がほとんどなかったぼくの世代
にとっては、前世紀の遺物のように見えた。じっさい、ココに入った
ことがあるという先輩や友人のハナシは聞かない。ココが開店した
のが1949年で、青島幸男が来ていた(らしい)というのを、さっきの
本で知った。

 普通の学生が通らない横丁にある〈澤田屋〉の前を、ぼくはほとん
ど毎週通っていた。目的はその隣の〈いこい〉という飲み屋だった。
さきの地図(1968年頃)を見ると、〈澤田屋〉のちょっと先に〈志乃ぶ〉
(ここは「割烹」的なムードで学生には敷居が高かった)が載ってい
るが、〈いこい〉は出ていない。だとすると、1970年代にできたのだ
ろうか? しかし、あの古さはハンパじゃなかった。

 入り口の戸をガラッと開けると、せいぜい10人分の靴が置けるだけ
の土間があって、その先はすぐに座敷だ。カウンターも椅子席もない。
4、5人のグループが三組入ったらもう満員になる。左側が厨房で、
じいさんとばあさんがツマミをつくり、娘さんらしきおばさんがそれ
を運ぶ。奥のほうは、どうも住居として使っているらしかった。
座敷がまたどこもかしこも薄汚れていて、全体的には「親戚の家に
遊びに行った」感が濃厚だった。

 〈いこい〉は、ぼくが一年生の秋から入った「民俗学研究会」
(通称「俗研」)というサークルがよく使っていた店だった。「俗研」
では、いくつかの班に分かれ、週に一回、少人数の研究会をやってい
た。ぼくが属していたのは「民間信仰」という班で、指導教官もいな
いサークルなので専門的なムードはまるでなかったが、それでも自分
なりに文献を調べたり、レジュメをまとめたりした経験が、のちに編
集者となったときにとても役に立った。それが終るといつもこの店に
流れ、12時前まで飲んだ。アルコールはビンビールと安酒の熱燗
(「日本酒ってマズイ」という固定観念を植えつけてくれた)、ツマミ
は焼き鳥、串カツ、にら玉、鳥のから揚げ、冷やしトマトなど。うま
くもナンともないけど、数人でひとり1000円出し合えばけっこう食べ
られて、てきめんに酔っ払える。その場でヨコになり、気がつくと寝た
まま吐いてるヤツもいる(ぼくもやったことがある)。おばさんに怒ら
れることもしばしばあった。

 大学卒業後、〈いこい〉には何度か飲みに行ったけど、学生という
立場が外れるとおばさんにどう接していいか判らず、どことなく居心
地の悪い気分を味わった。しかし、それから10年以上経った。いまで
も〈いこい〉はあるようだから、近いうちに行ってみようと思ってい
る。久しぶりに、あそこのにら玉を食ってみたい。でも、あの日本酒
だけはカンベンしてくれ。


☆著者プロフィール--------------------------------------------------------
南陀楼綾繁(なんだろう・あやしげ)
1967年、出雲市生。1986-90年、早稲田大学第一文学部に在学。
現在、ライ ター・編集者。「sumus」「サンパン」「本のメルマガ」などの同人として、
本 に関するあれこれを書き散らす。
世界初(自称)の古書目録愛好フリーペーパー 「月刊モクローくん通信」を発行中。
問い合わせはメールで。kawakami@honco.net
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投稿日 : 2004年09月14日
[早稲田で読む・早稲田で飲む過去のコラム]