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早稲田の文人たち【その14】

早稲田の文人たち【その14】 宇野浩二【前篇】

先日、広津和郎の『愛と死と』(牧野書店・昭和15年)という小品作品
と随筆を収めた本を手にいれた(この本の口絵に、文学アルバムなどでよ
く見かける、和郎が描いた父・広津柳浪の死顔の油彩が、当時としては珍
しいカラー印刷で掲げられている)。
 和郎は今の新宿区矢来町の生まれで、十代の少年時代まで、同じく弁天
町、鶴巻町と早稲田の近辺で過し、この本にはそうした明治時代の早稲田
の田園(というより田圃)風景も多く描かれている。そして、大学も早稲
田に学んだのであるが、彼については次の機会にまわして(戦後は作家活
動より「松川事件」で有名)、今回はその刎頚の友、宇野浩二(1891-1961)
をとりあげたい。

 というのも、和郎のこの本の「睨み返し」という直木三十五(現在は
「直木賞」で名を残す)についてのエッセイに、
 「序でだから云ふが、その時分の早稲田では、学校を卒業しなかつた連中
に、文壇でのチヤムピオンが大分出てゐる。直木がさうだつたし、直木よ
り一年前の宇野浩二が、やはり卒業してゐない。これは卒業間際まで学校
にゐて卒業しなかつたので、自分が後になつて、『君は卒業試験を受けな
かつたのか?』と訊いて見たら、『いや受けて卒業しなかつたのだ』と宇野
は苦笑してゐた。つまり落第して卒業が出来なかつたのである。三上於菟吉
も宇野と同期であつたが、これは多分予科か本科一年で止めてしまつたの
だつたと思ふ。」
 とあったからで、うかつにも<早稲田派>のボスのような存在の浩二が、
中退組とは知らなかったからでもある。

 で、さらに和郎の「序でだから云ふ」を真似して、序でにその頃の早稲田
大学英文科からどういう人物が生れたかを、浩二の『文学の三十年』(中央
公論社・昭和17年)に、浩二のクラスを中心にして、その前後の三、四年の
間の人物名を挙げているので、それを見てみると、
 「吉井勇、長田幹彦、吉田絃二郎、加能作次郎、三富朽葉、今井白楊、
広津和郎、谷崎精二、三上於菟吉、日夏耿之介、西条八十、直木三十五、
細田民樹、細田源吉、坪田譲治、保高徳蔵、評論家では、平林初之輔、
宮島新三郎。(中略)少し下の方で、右のやうな英文学科予科にゐた人物
では、牧野信一、岡田三郎、井伏鱒二、横光利一、高田保。それから、後
で知つたのであるが、私と同じ科に菊池寛が半年ほどゐた。」
 と書いているから、日本の近代文学史、文壇史は、この時代の<早稲田派>
ですべて語り尽くせる壮観さでもある。
 尤もこのうち、まともに早大を卒業した人物はだれとだれかというのは、
暇な人は調べていただきたいが、「文学の神様」の横光利一は、「文学の
鬼」の浩二と、同じ早大中退組である。まさに和郎のいう「早大中退者は
文壇のチャンピオンぞろい」なのである。
 ならば、早大は、なまじ卒業しないほうが、出世(?)するところなの
かもしれない。(以下次回)


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著者プロフィール 松本八郎(まつもと・はちろう)
1942年、大阪生まれ。早稲田在住40年。早稲田にて出版社EDIを主宰。忘れら れた作家たちをこつこつと掘り起こす。「EDI叢書」「サンパン」などを発行 して話題に。
「sumus」の同人でもある。
EDI ホームページ 
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2004年11月27日

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