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早稲田の文人たち【その13】

早稲田の文人たち【その13】 尾崎一雄【後篇】

 1931(昭和6)年の夏、一雄は山原松枝と結婚する。この前後の話は「暢気眼鏡」
に詳しく、小説では芳枝(芳兵衛)と書かれるが、彼女はその後たびたび一雄作品に
登場する。戦後には「長篇暢気眼鏡」が書かれ、作品名を『芳兵衛物語』と改めた小
説が刊行される(1953年・池田書店)。この作品は、1973年のNHKテレビの銀河ドラ
マ(午後10時台)で「芳兵エ物語」という題で放映された。
 彼らの新居は牛込区馬場下(現・新宿区馬場下町)の東光館であった。この下宿屋
は、馬場下交差点の蕎麦屋「三朝庵」から早稲田中学(旧制)の方に三軒目ぐらいの
所にあり、当時は東光館と中学校との境には、井伏鱒二の『早稲田の森』にも出てく
る戸山の箱根山を水源とする芭蕉川が流れていた。東光館には相馬泰三(広津和郎ら
と「奇蹟」を創刊。後に同人に加わった谷崎精二とともに「奇蹟の三羽烏」といわれ
る)や、富沢有為男(画家、小説家。『地中海』で第四回芥川賞を受賞)らも下宿し
たことがある。

 一雄夫妻は翌年の夏、早稲田通りから面影橋に抜ける旧鎌倉街道(一雄は「戸塚街
道」と書いている)の赤門寺に近い、関口という素人下宿に移り、ここで長女・一枝
が生まれる。出産は赤門寺の隣の金田病院であった(この第一子誕生については
「猫」という題の作品がある)。
 妻・松枝が退院してすぐ、淀橋区諏訪町(現・新宿区。高田馬場駅近く)の諏訪神
社脇の借家に転居するが、この家で先の「暢気眼鏡」が書かれる。諏訪町は、後に志
賀直哉が奈良から東京に戻って来て最初に居を構えた処で、浅見淵や青柳瑞穂らも住
んだ(この一雄の転居にあたっては、金の無い一雄を見かねた浅見淵が友人たちに奉
加帳を持って奔走する。青柳瑞穂は詩人で仏文学者。彼は後に阿佐ケ谷に移り、中央
沿線の作家が集った有名な「阿佐ケ谷会」はその青柳邸で開かれる)。

 『新正統派』以来、五年の空白を経て、この頃になってやっと一雄は原稿用紙に向
かう気持ちになる。丹羽文雄や浅見淵らと同人誌『小説』を創めたのは33(昭和8)
年2月であった。編集兼発行人は一雄。編集所は一雄の自宅「諏訪町90小説社」。発
行所は早大正門前の書店「稲門堂」の番頭が独立して作った戸塚の「矢崎稲門堂」。
 本庄陸男の『石狩川』(1939年)など話題作を発行した古本屋「大観堂書店」は、
現在も新刊本屋で健在であるが、一雄は学院時代にここで『白樺』の大揃いを手に入
れて以来、大観堂主・北原義太郎と親交を結び、一雄の随筆には度々登場する。
 その後一雄は、上落合(なめくぢ横丁)、下落合、牛込区馬場下(ここはかつての
東光館の隣)と転々として、37(昭和12)年の秋に上野桜木町に移ったのは、高等学
院以来の友、山崎剛平の興した出版社「砂子屋書房」の相談役を浅見淵と交代したた
めであった。一雄は44(昭和19)年夏に発病し、疎開も兼ねて小田原に帰郷するが、
20余年の在京期間の大半を、早稲田かその周辺で過した。
 ということで、『あの日この日』はもとより、一雄の小説には、当時の早稲田界隈
がこと細かに記されている。またこれらを読むと、昭和文壇史のなかでの「早稲田」
の地位は、なかなかのものであるということもよく分かる。尾崎一雄は「早稲田フア
ン」にはぜひお読みいただきたい作家である。(この項、終わり)

(2003/12/14)

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著者プロフィール 松本八郎(まつもと・はちろう)
1942年、大阪生まれ。早稲田在住40年。早稲田にて出版社EDIを主宰。忘れら れた作家たちをこつこつと掘り起こす。「EDI叢書」「サンパン」などを発行 して話題に。
「sumus」の同人でもある。
EDI ホームページ 
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2004年11月25日

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