早稲田の文人たち【その11】 尾崎一雄【前篇】
二、三十年前ぐらいまでは、早稲田大学に入学した地方出身の学生たちは、 大学近辺の四畳半かせいぜい六畳一間の下宿屋に厄介になったものである (下宿屋は、現在のアパートともちょっと違う。尾崎一雄の『あの日この日』 には、「当時としては新式の洋風貸間――つまりアパート」という一節も出てく る)。
昨今のようなキッチン・バス付きのワンルーム・マンションなどという贅沢な 話は、戦前はもとより、戦後の高度経済成長期にもなかったから、この間まで 早稲田界隈に在った下宿屋も、銭湯も、定食屋も、大学芋屋も、今ではほとんど 見かけなくなって、早稲田の町もすっかり様変わりしてしまった。
ただ、戦前・戦後のそうした早稲田の町の風景や下宿生活は、数多くの作家 を輩出した早大ならではということもあって、彼らの作品や自伝によく描かれて いるので、それらを片手に早稲田界隈の路地を歩くと、今でも少しは当時の情景 をイメージすることが出来る。
なかでも『暢気眼鏡』で第五回芥川賞(昭和12年上期)を受賞した尾崎一雄の、 先述の自伝『あの日この日』は詳細をきわめ、戦前の早稲田の町が手にとるように描かれているので、今回はこれをネタにひとくさり書いてみよう(『あの日この日』は、雑誌『群像』に1970年1月号から73年12月号に連載され、単行本が75年に 上・下巻で講談社から刊行。78年には続編の連載が『群像』で再開され、82年に 同じ版元から『続あの日この日』が刊行される。ボドニ・マーク時代の講談社文庫 にも収録)。
尾崎一雄(1899-1983)は、1920(大正9)年4月に早大予科が新大学令によって新設された早稲田高等学院の一期生として入学して以降、37(昭和12)年秋に上野桜木町に転居するまでの、あしかけ17年もの間、早稲田近辺の下宿屋や借家を転々としながら棲み続けた作家である(この頃の高等学院は、現在の文学部の地所にあって、翌年の21年4月に第二学院が開校されたため、早稲田第一高等学院となる)。
高等学院時代の一雄の下宿先は、当時は穴八幡の早稲田通りの筋向かいに在った水稲荷神社(戦後、現在の甘泉園に移転)わきの時習館(のちの日吉館。淀橋区戸塚町。現・新宿区西早稲田一丁目)であった。 1924(大正13)年、早稲田大学文学部国文科に入学。この年、時習館を出て、東京市外高田町雑司ヶ谷の素人下宿に転居し、さらに翌年、近くの借家に移る(いずれも現在の豊島区雑司ヶ谷、目白台の日本女子大学の傍)。 27(昭和2)年、早大卒業と同時に、それまでに入り浸っていた大学傍の喫茶店 ドメニカのS女と結婚。ドメニカは穴八幡わきの坂の途中に在って、この店の二階で離婚するまでの3年間を過し。その前後は私淑する志賀直哉を追って奈良に住んだり、東京に戻って友人の下宿に転がり込んだりするが、このあたりの話は次回に。
(この項つづく)
(2003.10.15)
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著者プロフィール 松本八郎(まつもと・はちろう)
1942年、大阪生まれ。早稲田在住40年。早稲田にて出版社EDIを主宰。忘れら れた作家たちをこつこつと掘り起こす。「EDI叢書」「サンパン」などを発行 して話題に。
「sumus」の同人でもある。
◎EDI ホームページ
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