早稲田の文人たち【その10】 保昌正夫【後篇】
保昌正夫は「文学研究者」ではあったが、自らは研究者とは名乗らなかった。
新聞や雑誌に寄稿した時の職業欄には、大学に籍があったときは「○○大学教授」は当然として、退職してからは「文芸評論家」と紹介された。その頃二、三度、 寄稿文の掲載された紙誌が保昌から筆者に送られてきたが、それらの末尾に記されているパーレンで囲まれた肩書きには、いつも赤鉛筆の斜め線が引かれていた。「文芸評論家にあらず」という意味である(「先生」と呼ばれることも、時には嫌 われた)。
生前の保昌正夫の単行著は、18冊ある。 41歳の年の1966年に発行された新書判サイズの『横光利一』(明治書院「近代作家叢書」の一冊として)が処女出版である。その「あとがき」に、「この小著は私の 愛惜する作家横光利一に関する中間報告である」と記され、「横光利一〈研究〉の 中間報告である」とは書いていない。二冊目は、14年後、55歳になった1980年刊行の『横光利一抄』(笠間書院「笠間選書」の一冊として)であるが、この二冊とも その目次に、「研究」や「論」と付けられた項目のタイトルはない。いや、一ヶ所 ある。『抄』の冒頭に掲げられた「横光利一論前提」である。が、これとて「〈論〉 を前提とした」といった意味合いであって「論」ではなく、さらにこの標題の下に 「(はしがきに代えて)」とパーレン囲みされているから、なおさらである。 自身の書いたものに対しても、「論文」や「レポート」といった言い方はしなか った。「エッセイ」も含めて、保昌にとってはすべて「書きもの」であった。忘れ られた作家の発掘やその年譜作成にも大きな功績をあげた保昌であるが、こうした「研究」も、「勉強」といい、これらの作家の初出誌探索には「雑誌勉強」とか、
苦労の多い年譜作りには「年譜勉強」ということばを好んで使った。ついでにいえ ば、その始まりにはかなり入念な「予習」があって、発表後になお補遺をしたり補 足した「書きもの」は、「復習」あるいは「おさらい」と言って憚らず、勉強好き の小学生「正ちゃん」が、そのまま大人になった感であった。
大仰で難解な言い回しの文学論が流行って、そのとたん「ブンガク」が俄につま らなくなり、もう何年も前から文学不振が叫ばれている。 そんな中、なおも「文学を楽しみたい」とお思いの諸兄・諸姉には、上記以外に も以下の「保昌正夫の書きもの」を、一読されることをお勧めしたい。大の「本好 き」で、文学が好きで好きでたまらなかった文人学者が、権威や名声のために書き残したものでなく、著者自身が楽しんで書いたものなので、これらの著作を読むと、あなたが読んだこともない作家や作品の「虜」になること、確約します。 ただし、著者の意向で、各書とも発行部数は少なく、ほとんどが小さな清楚な本なので、早稲田古本村の各店舗の棚を、目を皿のようにしないと見つからないか も……。
『近代日本文学随処随考』(双文社出版・1982) 『牧野信一と結城信一』(宮本企画・かたりべ叢書・1987) 『横光利一全集随伴記』(武蔵野書房・1987) 『横光利一とその周辺』(帖面舎・1989) 『13人の作家』(帖面舎・1990) 『昭和文学点描』(勉誠社・1993) 『横光利一見聞録』(勉誠社・1994) 『七十まで・・ときどきの勉強』(朝日書林・1995) 『川端と横光』(日本古書通信社・こつう豆本・1995) 『牧野英二』(EDI エディトリアルデザイン研究所・1997) 『川崎長太郎抄』(港の人・1997) 『和田芳恵抄』(港の人・1998) 『瀧井孝作抄』(EDI エディトリアルデザイン研究所・1999) 『横光利一・・菊池寛・川端康成の周辺』(笠間書院・1999) 『昭和文学歳時私記』(日本古書通信社・こつう豆本・2000) 『同人誌雑評と「銅鑼」些文』(港の人・2001)
なお、これらの細目は、『サンパン』第III期第4号「保昌正夫追悼特集」 (EDI発行・2003年3月)に掲載されている(問い合わせ先:edi@edi-net.com)。
(この項、了)
(2003.9.15)
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著者プロフィール 松本八郎(まつもと・はちろう)
1942年、大阪生まれ。早稲田在住40年。早稲田にて出版社EDIを主宰。忘れら れた作家たちをこつこつと掘り起こす。「EDI叢書」「サンパン」などを発行 して話題に。
「sumus」の同人でもある。
◎EDI ホームページ
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