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古本バイト道【第7回 「トイレ行ってきますっ!」】

■■古本バイト道■■ 第7回 濱野奈美子


 三省堂の裏に9時半という約束でした。
「三省堂の裏? なんでそんなところに?」
 一言聞けばすむことなのに、その時の私はなんだかわかんない曖昧な
笑みを浮かべて、「はい」とかなんとか言ったのでしょう。
 高校時代の暗い思い出のために、神田の古本まつりには足を向けなか
った私です。それでも、ニュースやらなんやかんやで、「だいたいこん
なもんでしょう」という知識は持っていたつもりでした。
「神田の古本まつりってのは、あれでしょ。神保町の交差点ところでや
るんでしょ。第一勧銀の前のところに台かなんか出して…」というのが、
それまでの私の知識でした。

 ところが、「来て」と言われたのは三省堂の裏。そして、当日驚くこ
とになるのです。三省堂の1階入口のところにも、裏のちっちゃい広場
にも、びっちりと本が並べられているのを見て。神田の古本まつりは
第一勧銀の前だけでやってるワケじゃなかったのです。
 考えてみればそうなんですがね。第一勧銀の前なんてちょっと郊外の
スーパーの店頭と大差ない広さなんですから、そんなところだけで何万人
も集客できるわけがないんです。でも、このときでさえまだ、岩波書店
の隣の道にもびっちり本が並んでいることまでは知らなかったのです。

 驚くことはまだありました。
 三省堂の裏に出店している店舗の会計は集中レジじゃないのです。
つまり、ちっちゃいお店がいくつも並んでるような感じで、1店ずつその
場で会計をするシステムなのです。これはもう棚2台分の店の主です。
だから、お客さんにこんなことも言われてしまいます。
「これとこれ2冊買うから3000円に負けてくれない?」
 雇われ店主にそれは無理です。そんなときはバイトに戻ります。
「いえ、あのー、私はバイトなのでそれはちょっとできないんですよね」
「あ、そう、じゃ、止めるわ」
 これ、本当に凹みます。たぶん、お客さんも値引き交渉は相手を見て
していると思うので、そう多いわけじゃないんですけれど、ごくたまに
あるんです、こういうことが。外国の市場でなら、自分でもこういう
駆け引きをするのはちょっと楽しい。でも、ここでやられると効きます。
なんか、自分が悪いような気になってしまう。

 そして、もっと困ったこと。それは、誰か代わりが来るまでここから
離れられないということです。まだ、ぜんぜん周りの本屋さんに知り合い
もいなくて、そして今よりも若かった私の脳裏にふっとよぎる「トイレ
行くときはどうしたら?」の文字。時は10月末。真冬ではないにしろ、
日によっては結構寒い日もあります。考えるとちょっとドキドキしてしまう。
 …なんてね、こんなの最初だけでした。隣の本屋さんに「トイレ行って
きますっ!」と元気よく告げて行けばすむだけのこと。だって、どんなに
考えたってそれ以外の方法はありません。自然現象には逆らえないし。
1回言ってしまえば後はへっちゃら。デパートみたいに「5番入ります」
なんて隠語も使いません。ま、さすがにだんだんそんなにはっきり言う
必要もなくなってきて、「ちょっとお願いします」くらいのいい方に
落ち着いてきますけど。

 こんなふうにして、どんどん馴染んでいくんですね、古本屋さんの
世界に。

 そうそう、まだありました。古本屋さんに行くたびに思っていたこと。
そして、自分がついにそれをしてしまうようになるとは…という話は
また次回です。


☆著者プロフィール------------------------------------------------

濱野奈美子(はまの・なみこ)
フリーライター。長い古本バイト経験を生かして『アミューズ』の古本特集や
『古本 神田神保町ガイド』(共に毎日新聞社)などで活躍する。本業のライ
ターでは古本だけではなく、サッカー、食べ物なども。なんでも来い。
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2004年09月24日

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