早稲田の文人たち【その5】 谷崎精二(つづきのつづき)
この第五次『早稲田文学』が復刊される前年(1950年)に、精二は還暦を迎えるが、それを祝って出版されたのが、前々回にも書いた『時代の花束』である。
さらに第五次終刊の1953年(昭28)には、精二が復刊させた第三次から数えて二十周年ということで、それを記念して『現代作家處女作集』が編まれる。
その間わずか2年であるが、同じようなアンソロジーが続けさまに刊行されている。ハテ、これはいったいどういうことなのだろう?
それ以外にも、その2年後の1955年(昭30)には、早大の卒業生で、かつ当時、早大で教鞭をとっていた人々による「早稲田大学70年」と副題されるアンソロジー『都の西北こだまする森』(鱒書房)が刊行されている。
執筆者は、土岐善麿、中谷博、高木純一、仁戸田六三郎、暉峻康隆、京口元吉、今和次郎、中島正信、北沢新次郎、小松芳喬、谷崎精二、川原田政太郎、戸川行男、河竹繁俊、木村毅、新庄嘉章、赤松保羅、森茂雄、大浜信泉、陣内宜男。
この本の編者は、谷崎精二である。当時、彼は文学部長であった。
余談ながら、この『都の西北こだまする森』は、シリーズ物なのか、「慶応義塾90年」とした『三田にひらめく三色旗』という本が、同年に、版元も同じ鱒書房から、ほぼ同じ体裁で刊行されている。こちらの編者は、奥野信太郎(慶大文学部教授)である。
慶応義塾が出てきたのでついでに言うと、『三田文学』を擁する慶大は、あまりこの手のアンソロジーを編んでいないようである。今、古本屋(早稲田古書店街にかぎらず)で手に入るものといえば比較的近年の、慶大文学部開設百年記念「三田の文人展」実行委員会編『三田の文人』(1990・丸善)と、三田文学創刊九十周年『三田文学名作選』(2000・三田文学臨時増刊)ぐらいであろうか。
しかもこれらには、同誌の編集者であった「南部修太郎」や、川端康成に激賞された「山下三郎」らの作品が収録されていない(「EDI叢書」では現在、日大教授・曾根博義編の『山下三郎 四編』を刊行中で、この冬には早大助教授・十重田裕一編による『南部修太郎 三篇』を刊行の予定である)。
![]() 谷崎精二編 『都の西北こだまする森』 (1955・鱒書房) | ![]() 奥野信太郎編 『三田にひらめく三色旗』 (1955・鱒書房) |
だからその点は、早大は人材も揃っていて、この手のアンソロジーは得意のようである。たまたま架蔵しているものでいえば、1923年(大正12)にも、『早稲田文藝大觀』(實業之日本社)というのが刊行されている。
手持ちのこの「第一巻・小説集・上巻」には、早稲田大学を卒業した当時活躍中の作家、正宗白鳥、須藤鐘一、長田幹彦、宇野浩二、加能作次郎、三上於菟吉、小川未明、石丸梧平、吉田絃二郎の九名が、「大隈候記念事業を援助するために」(? 未調査)、「有志相はかつて、その自ら選ぶところの文章を集め」て発行されている(この「第一巻」の発行日は8月5日。翌9月1日には関東大震災に見舞われるので「第二巻」以降は発行されなかったかもしれない。ご存じの方はご教示ください)。
で、話を元に戻して、谷崎精二である。
前々回にも記したように、精二は戦後の1946年(昭21)から、60年(昭35)の定年退職(70歳)までの15年間、早大文学部長を務めた。
「精二氏は文学部長になるまでは、学校の話をするのを嫌い、一歩校門を出ると絶対にその話はしなかった。終始、自由人的な文壇人として闊達に振舞っていた。しかるに、ひとたび文学部長に就任するや『早稲田文学』に就いては全く触れなくなり、口を衝いて出る言葉は学校に関する話ばかりで、目に見えて官僚的な性格を帯びてきた。同時に、権力をも愛するようになってきた。」
とは、これも浅見淵の『史伝 早稲田文学』に誌されているところである。
そう思って見ると、還暦祝いの『時代の花束』の出版や、雑誌終刊にあたって、その功労者への顕彰事業としての『現代作家處女作集』の出版、といった背景には、そんな権威主義的な権力構造(?)の空気が感じられなくもない。
谷崎精二に『都市風景』(1939・砂子屋書房)という、精二が30代半ばから40代後半にかけての頃の随筆集がある。大正の末から昭和10年代前半に書れたものを集めたこの本は、精二の「人となり」がわかる佳作集である。
このなかに収められた「祝宴」(1927年の作)という随筆は、小説とも読める趣を持った作品である。真面目に勉学に励みながらも、脳に障害をもったために落第を繰り返す教え子の、卒業、就職にいたる過程を、精二の小説作品にも見られる純粋さそのものの筆致で描かれている。
この集の最後に収録の「生ひ立ちの記」は、彼のその出自から、幼・少年時代、早大の学生時代が語られる。その頃の早大時代の恩師や級友については、遺稿集ともなった『葛西善蔵と広津和郎』(1972・春秋社)の中に、「早稲田文科の五十年」として収められている。
「生真面目さとナイーヴさ」(浅見淵)を合わせ持った時代の「谷崎精二」は、今、彼の遺した小説作品や随筆集の「書物」で知ることが出来る。晩年の権威主義的だったころの大学人・谷崎精二は、今のわれわれには幸いにして見聞きする機会もないので、その老年期の人間性をとかく云々することなく、「作品」の上だけで純粋に鑑賞することが出来る。
先の「生ひ立ちの記」に、小学生時代の恩師について、精二はこう記している。
「私行上欠点の多い人だと云ふ事がわかつても、僕はやはり小出先生には今以て尊敬と感謝の念を抱いてゐる。事情は異るが往年早稲田大学に於ける片上伸先生の場合がこれとちかい。」
それに倣って、谷崎精二の作品を、「作品」としてのみ、もう一度読み直してみるのもいいのではないかと思っている。今回は彼の著作物についてまったく紹介出来なかったが、早稲田古書店街ではまだ、彼の古い時代の小説作品集が時折見つかるので、ぜひお読みいただきたい。
(2002.8.25)
![]() 谷崎精二著 随筆集『都市風景』 (1939・砂子屋書房) | ![]() 谷崎精二著 遺稿集『葛西善蔵と広津和郎』 (1972・春秋社) |