早稲田の文人たち【その3】 谷崎精二
いやしくも、〈ワセダ〉に住まうか、あるいは〈ワセダ〉に通勤、通学する者で、雑誌『早稲田文学』を知らぬ者はいないであろう。
な〜んて、偉そうに書き出したが、近年の『早稲田文学』は、筆者のごとき単なる文学フアンでは、難解も難解、むずかしすぎて、日本語で書かれているのに、一体なにを言っているのかサッパリ理解できないでいる。だから、最近は読んだことがない、どころか、本屋で手にとることもなくなった。
そこでふと思う。
フツウの文学フアンが楽しめたあの『早稲田文学』は、どこへ行ってしまったのだろう、と。
今、ちょっと調べてみたら、筆者が楽しめたのは、第七次『早稲田文学』の頃の1970年代ぐらいまで、と判明した。これは奇しくも「ブンガク」が流行らなくなった時期とも重なる。『早稲田文学』のみならず、『新潮』『文学界』『群像』『文芸』といった文芸誌の凋落も、ちょうどこの頃からのことである。
そのすぐあとぐらいだろうか、「ネアカ」なることばが流行ったが、「文学好き」なんてのは、もともと「根暗」なのに、あえて「根明」なんて虚勢を張ったあたりから、「ブンガク」が変になった。しょせんは「娯楽」のための「ブンガク」、いや「ブンゲイ」なのに、「ポスト・モダン」やなにやかや、外国の文学者の受け売りのヘリクツを、大学紛争後に大学に居座った団塊の世代の大学教授兼文芸評論家連中が玩んでいるうちに、今やすっかり「ブンガク」は、フツウの文学フアンはもとより、「文学好き」からも見放されてしまった。
そんなことを考えながら、先日、早稲田古書店街をブラついていたら、『十年』、『時代の花束』、『現代作家處女作集』という、いずれも『早稲田文学』に関係のあるらしい作家たちのアンソロジーが見つかった。それぞれの目次には、フツウの文学フアンなら、おつりが帰ってくるほどの名前がズラリと並んでいる。
で、読んでみて、今、ひさしぶりに喉の渇きを癒した気分になっているが、まあそれはともかく、ここでその作家たちのラインナップを、紹介してみよう。
『十年』
(昭和18年・二見書房)
井伏鱒二、中山義秀、浅見淵、尾崎一雄、逸見廣、丹羽文雄、火野葦平、田畑修一郎、井上友一郎、長見義三、宮内寒彌、野村尚吾の十二名。編者は早稲田文學社、その代表者として谷崎精二の名がある。

『時代の花束――早稲田作家集・昭和二十六年版』
(昭和26年・東方社)
この「早稲田作家集・昭和二十六年版」には、井伏鱒二、中山義秀、尾崎一雄、逸見廣、浅見淵、丹羽文雄、火野葦平、石川達三、田村泰次郎、宮内寒彌、野村尚吾、榛葉英治、濱野健三郎、八木義徳、結城信一、小沼丹の十七名の作家たちの作品が収録され、青野季吉が「解説」を付している。以降の「版」が出たのかどうかは、未見のため不明。

『現代作家處女作集――早稲田作家篇・第一集』
(昭和28年・潮書房)
この「早稲田作家篇・第一集」には、正宗白鳥、小川未明、中村星湖、吉田絃二郎、加能作次郎、細田民樹、坪田譲治、長田幹彦、牧野信一、中河与一、横光利一、井伏鱒二、浅見淵、逸見広(ママ)、尾崎一雄、丹羽文雄、火野葦平、田村泰次郎、八木義徳、宮内寒彌、榛葉英治、辻亮一の二十二名の作家たちの作品が収録され、青野季吉が「半世紀の早稲田作家」という巻頭言を書き、諸家による「処女作回想」で、すでに物故した作次郎、信一、利一と、白鳥については、稲垣達郎が「解説」を行なっている。
「第二集」以降と他の「篇」は未見のため不明だが、青野季吉の巻頭言によると、「第一集・第二集を通じて、四十四人の早稲田出の作家の処女作があつめられている」とある(ご存じの方はご教示ください)。

『十年』は、1934年(昭9)に第三次『早稲田文学』が谷崎精二によって復刊されてから、その十周年を記念して刊行されたもの。
『時代の花束』は、第五次『早稲田文学』が始まった年の1951年(昭26)に、谷崎精二の還暦を祝って刊行されたもの。
『現代作家處女作集』は、谷崎精二を中心とする第五次『早稲田文学』が20冊をもってその刊行使命を果たし了える年の1953年(昭28)、第三次復刊から二十周年を迎えるということから「早稲田文学編集委員会」によって編まれている。
さて、そのいずれにも「谷崎精二」の名前が出てくるが、いったい彼は何者か?
谷崎精二(たにざき・せいじ 1890−1971)は、人も知る文豪・谷崎潤一郎(1886−1965)の実弟である。兄・潤一郎とちがって、精二は苦学して1909年(明42)、早大高等予科に入学し、13年(大2)同・英文科を卒業。同級生に広津和郎、白鳥正吾がいて、在学中に和郎、葛西善蔵、相馬泰三らと同人雑誌『奇蹟』を発行する。
卒業後は『万朝報』の記者となるが、長篇小説『離合』(大6・阿蘭陀書房)が出世作となり、この頃から作家生活に入る。しかし、浅見淵が「谷崎氏の作家生活は昭和八年四十二歳の時に終わっている」(『史伝 早稲田文学』)と書くように、この時、彼はすでに早大教授として教育者の道を歩んでいた(早大講師になったのは1921年=大正10年)。
以降、精二は定年を迎えるまで早大にあって、その間の1946年(昭21)から60年(昭35)までは文学部長を務め、46年に文学博士号を取得して、早大退職後は名誉教授であった。
(以下、次回につづく)
(2002.6.25.)
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著者プロフィール 松本八郎(まつもと・はちろう)
1942年、大阪生まれ。早稲田在住40年。早稲田にて出版社EDIを主宰。忘れら れた作家たちをこつこつと掘り起こす。「EDI叢書」「サンパン」などを発行 して話題に。
「sumus」の同人でもある。
◎EDI ホームページ
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