■第1の方法 2003.2.8 沼田真一
映画を楽しむ100の方法。
と銘打って、記事を誰が最初に書くかといったら結局自分になる。
たいして映画も見ていないのに、偉そうなことなんていえないのだけど、踏み絵だと思って書くほかない。
というわけで、どうやったら映画を楽しく見られるかということなのだけど、それはたくさん見方があるわけで、たとえば、○○という酒をのみながらがいいとか、どこどこの劇場はスクリーンがでかいので迫力がある、とか、やっぱりデートで女の子を誘い、隣に座っているときにふんわりと香ってくる香水が最高だとか、映画を楽しむ方法は千差万別、多種多様にありえるわけですね。そういったなかで、そうだなー沼田がひとつあげるとすれば、昔見た映画をもう一度観てみるってことですかね。
えっ、そんなの普通でしょ?っていう苦情やツッコミがきこえてきそうなんですが、まあ、最後まで話を聞いてくださいよ。というのは、復活した早稲田松竹で「ニューシネマパラダイス」を上映したので、それを改めて見に行ったのですが、もう、すでに一回みているわけですね。たぶん、浪人中だったとおもいます。ただ、そのときは、小さい家のテレビで見たわけです。ビデオを300円くらいで借りてきて。
それをスクリーンで見直したときに、ああ、やっぱりぜんぜん違うなって、思ったんです。
なにがどうちがったかっていうのは、言葉で説明するのって、難しいし、ちょっとちがうなっておもうんですが、一言で言えば、「再会」なんですね。たとえば、ぼくの高校時代の大好きだった彼女がいたとする。彼女との楽しかった思い出もいつの間にかぼんやりしてしまって、記憶から薄れつつあるときに、突然、24歳の誕生日にスパークリングワインを買いに行った銀座のプランタンで、僕らは再会してしまうわけです。そのとき、おぼろげな記憶から、彼女の声や、彼女のしぐさとかを急に、ふうーと思い出すわけです。
そんな感じです。昔と同じような状況で映画をみても、意味がないわけですよ。
それなりに時間がたって、それも何年か、もしくは何十年かたって、まったく違った環境の中、再び同じ映画を見たときに、かつて感じたその感情や、あらためてそのときわかった、気づいたことなど、たくさんのことが頭の中でめぐるはずです。ああ、そうかそうだったのか、といった「発見」がある。かならずある。
そのために、早稲田松竹なんてうってつけじゃないか、って思いました。こうした「再会」を成功させて、ひとしきり感傷的になって、スタバでカフェモカを飲みながら、古書店で買った中原中也の詩集をぱらぱらと目を通し、勢いあまって、元カノに電話して「とりあえずやりなおさないか?まずは馬場でラーメン食おう」とかいって、黙って切られるわけですね。
それにしたって、これは早稲田松竹の巧みな作戦だったのでしょうか?
「再会」と「再開」をかけてしまうとは。
とまあ、沼田の勝手な勘ぐりでしたが。
というわけで、昔の映画をもう一度見てみる。それも時と場所を移して。これが映画を楽しむ第一の方法です。
(2003.2.8.)