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古本共和国 第16号('01)

アシヲムケテハネムレナイ向足不眠 本間吉郎

師の版画家若山八十氏より三千八百円を借り受け、早稲田の古書街へ走りました。その日、ふと立ち寄った店のうす暗い一隅に紐で括られたひと山の冊子を目にした私は、一瞬息が止まる思いでありました。何たる幸運かと。

それは、若山が戦中から戦後にかけて孔版への思念と孔版技の粋を尽くして刊行し続けた、手書き手刷りの「孔版」誌九十冊だったのです。創作孔版画に生涯を賭けたパイオニアとして、創作への意(こころ)と技を惜しみなく盛り込んだこの個人誌を、若山の孔房で私は幾度も手にしていましたが、座右に置けることなどとうに諦めていたはずの九十冊。それが今のいま眼前にあるのです。しかし、代価を払うゆとりがありませんでした。急ぎ神田の師のもとへ、頭を垂れ、再び急ぎ早稲田へ。心が躍りました。宙に舞う思いでした。三十八年前の僥倖の一日。

田舎で中学教師だった私は、学友が卒論製作の資料探しに上京、早稲田、神田の古本街を巡ったという話に言いようのないジエラシーを覚えたことでした。大都会のこの末知なる街への憧れが状況への夢?を助長してくれたのでしょうか、二年間の教職を捨てての無謀な上京は意外と早く古書街の土を踏ませてくれたのです。爾来四十余年ですが、ゆとりの持てなかった四年、五年を経て、ようやく心満たせる日々を実感し始めた矢先の、天恵の一日だったのです。

この日以来、早稲田古本街は殊更かけがえのない地となったことは言を待ちません。かといって店主と語らうほどの勇気はなく、高価な書を手にする力もない私は、静かな書架を見上げ、ゆっくりと街並みをたどり、穴八幡の境内にひとり夕暮れの刻を佇むといった、いたって頼りない存在なのです。

かの「孔版」誌は、欠二冊の結局八十八冊でしたが、熟読熟覧、抜き書きし、全索引を作り、壮年期の師の情熱と創作版画の何たるかをしっかと受け止めました。そして、師没年までの二十数年間、導きを頂きつつも共に創作孔版画を発表でき、かつ今日に至っているその出発時の一接点に、いつもこの早稲田古書街があり、なんともうれしいお礼ごころが消えないであるのです。

製作し続けてきた孔版オリジナル手創本も十二冊となった。いつか書架の隅っこにでも遠慮気に顔ん覗かせる日が……、それが早稲田古書街でだったりしたらなどと、自分勝手な幼い妄想に苦笑することしきりです。

(孔版画家・レタリングデザイナー)

古本共和国 第16号('01)

2004年07月21日

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