










『読めない文字で書かれた本』 イラストルポライター、装丁家 内澤旬子
読めない文字で書かれた本って、どうしてこんなに興奮するんだろう。文字フェチってわけでもないのだけどねえ。 本当に。
きっかけですか?モロッコのタムグルートの図書館でコーランの写本を見てからかな。とんでもない、首都から一日なんかで行けませんよ。中部都市、マラケシュから丸一日バスに乗ってアトラス山脈を越えるでしょ。ものすごい くねくね道を爆走するから半分くらいの人が吐いていたかな。あ、私は揺れると眠っちゃうんで平気でした。で、ワルザザードという町に着く。あのカスバ街道の入り口ですね。とりあえずここで一泊。
それから乗り合いタクシーをつかまえて、4、5時間南下してザゴラという小さな町に。もうサハラ砂漠の入り口です。 タムグルートに宿はないからここで宿をとって、またもやタクシーのあんちゃんをつかまて、天文学的数値の言い値 から一時間くらいかけてまずまずの日本人値段に引きずり降ろし、砂漠の中を一時間走らせる。で、やっとタムグルートに着きます。その頃にはもう、くたくたの砂まみれですよ。顔なんかも真っ黒に焼けて。
村なんて呼んでいいのかなっていうくらい、なんにもない。日干し煉瓦の積み重なった家と塀と、やしの木が何本かあるだけの集落。ひともラクダもまばらで。でもそこに結構由緒正しいマドレセ、イスラム今日の神学校があって、 図書館があるんですよ。信じられます?
ジュラバという鼠男みたいな民族衣装を被ったおじさんに案内されて、展示室に入ると、ガラスケースの中に、14世 紀ぐらいからの写本がずらりとあったんです。
写本っていうのは、手書きで書かれた本のことです(印刷されたのは刊本ね)。いや、もう、とにかく美しい。これまで自分が手にして読んできた本と全然違う。トプカプ宮殿のキャンディーみたいなエメラルドのてんこ盛り見たって これほど感動しなかったですよ。あれで人生狂っちゃたんですね。今思えば。
何がすごいかって、まず、本文用紙の材質ね。紙じゃなくて羊やガゼルの皮なんですよ。羊皮紙ってやつ。当時紙は発明されてたけど、あの辺じゃ、紙をきる漉こうにも材料が生えないし、水もない。買おうにも、今だって何日 もかかる場所なのに、当時運ばせたらすごい高級品になっちゃいますよ。その辺の羊やガゼル潰したほうが早いし安いですよ、絶対。
ガゼルを本にするなんて知らなかった。皮はいで、枠にはめてぴんぴんに引き伸ばし、余分な汚れや油をナイフでこそ ぎ落とし、乾かして作る。基本的に哺乳類なら何でもいのかもしれないけれど。ヨーロッパでは通常羊か牛で作られま す。イスラム圏では鹿の皮も使うとか。
皮といってもなめさないから固い。ああ、太鼓の皮、あんな風あい。もっと薄いけど。微妙に透き通ってて、黄色っぽいんだ。濡らすとぶにぶにになるし、臭いところがなんとも動物的な素材で。
ガラス越しに見て、あのときそこまでわかったわけじゃないですよ。古いものだから煤けてるし。でも質感が圧倒的に 違うのはわかった。思わず下からみてざっとページ数かぞえちゃった。一体何頭のガゼルで作ったのかなってね。一頭で 取れて二枚、八ページ分だとして……25頭くらい。一冊の本で。すごいと思いません?
さらに下から見たらまたびっくり。
本の天地についている花切れってご存知ですよね。布のテープみたいなやつ。あれも全然違うの。セーターのメリヤス 編みのようになって本文の折り山に糸が入り込んでる。レース編みの糸くらいの太さで、網目のこまかいの。一体どうな ってるんだって思って。ものの本によるとイスラム式花切れは、網目の下にリボン状の皮芯が通っているんですって。でも あれからずいぶんイスラム本見てきたけど、皮芯は見えないんですよね。
それから、文字。これははずせない。アラビア文字はご覧になったこと、ありますよね。ボウフラが体操しているような 文字。あれがびっしり手で書かれている。ひと文字だって読めないのに、なんか、見つめているとわくわくしてくるんです よ。神学校だからコーランが多かったけど、イマムの系譜図とか、数学や天文学の図形混じりの本もあった。昔はイスラム のほうが文明先進国だったから。エーコの『薔薇の名前』に、アラビア語に堪能な修道層が出てきますでしょ。そういえば 映画でも写字僧が羊皮紙に聖書を写していく場面がありましたよね。彼等はラテン語だけど。あのシーン、見る度に、ああ、一字ずつ書き付けていってるのねって、目頭が熱くなってくるんですよ。
アラビア文字にも書体がいくつかあって、太い罫線に刻みがついているだけみたいなものもあるけど、この図書館の写本は綺麗で比較的読みやすい書体でしたよ。
いや、読めないんですけどね。でも、沢山見ていれば、ある程度は綺麗、汚いはわかりますよ。イランに行ったときにホメイニ師の手書き文字を印刷した詩集を見て、ちょっとあれは、読みにくそうかなって思ったもん。ま、すでにお年だったんだ ろうけど。いや、でも普通の人たちの手書き文字って全然読めないですよ。実は今、アラビア活字の音の判別はできるんだけど(それと意味を読むのとは別です)、手書きのメモとかは、判別できない。語学の先生に訊ねても難しいって言ってました よ。実際に書いてみるとわかりますけど、たしかに綺麗に書くのが大変な文字なんですよ。
とりあえず、あのときは、わけもわからず、口あけてガラスにへばりついて見つめていたんです。あんまり長くへばりついてついているから、案内のおじさんが、「おまえ、アラビア語が読めるのか」って。無理ないですよね。私の他にスペイン人 の学生が二人で来たけど、10分もいないで帰っていきましたから。
それからね、、まだあるんです。うんざりしないでくださいよ。当時なによりも感動したのは文章の回りを飾るアラベスク文様だったんですよ。赤、青、緑、金がものすごくあざやかで、細かい渦や、蔦模様が、幾何学的な枠のなかになめらかに吸 い込まれて、なんとも不可思議で美しい形を作り出しているんです。時には文字が模様のように書かれている部分もあったり。
もともと模様みたいな文字だから、それがまたかっこいいんですよ。
表紙にもアラベスク文様が空押しされてましたよ。開いた状態で展示している本が多くて沢山は見れなかったんだけど、ちょっと変わった形で。裏表紙が長くて、小口を囲んで表紙の半分にまでかぶさっているんです。和本の帙に 少し似ているとも言えそう。それが本文と背の部分で合体した感じ。もちろん茶色の革装でしたよ。
えっ見たいって?そうでしょ。でも、そこは写真もスケッチも禁止だったんです。政府の許可がいるとかで。何にも知らないで来たものだから。仕方無かったけど。せめてと思ってメモしてても怒られて、お金とられましたよ。 あれは罰金だったのか、追加料金だったのか。まあ、百円くらいでしたけど。
それからはアラベスク文様にはまって。買えるものは葉書でも図案集でも何でも買いましたけどね、何か違うんです。あの図書館で見たものと。自分で描いてみてもどうも違う。
やっぱりあのガゼル皮に、文字を書いて、皮でくるんだ本だからこその、文様だったみたい。私にとっては。
話がそれますが、サハラ砂漠の「偉大なる静寂」ってのもそのとき体験したんです。タムグルートから少し車で行くと、枯草一本見えない砂漠だったんで、ついでに拝んできたんです。あの、音が全部吸い込まれていくような、遠近 感の狂った、不思議な世界。砂の中に立つと本当にすごいですよ。ちょっとこわいような。砂漠で人生観変わるっていうけど、私の場合は、その手前の図書館で人生別のスイッチが入ったみたいで。
あれから7年ですか。プータローから装丁だの、イラストの仕事をするようになって。製本も習って、構造も少しは解るようになりましたよ。
合間を見ては、イエメンのルブアルハリ砂漠を越えてタリームというまたもや小さな町へ、懲りずに図書館を訪ね たり、エチオピアでは、原始キリスト教の聖書を見るために、かたっぱしから高地の修道院たずねて見せてもらった り。バリ島のやしの葉に書かれた本(貝多羅本といいます)も見に行った。去年はイランの聖地マシュハドとコムの図書館に行ってきました。真夏だっていうのに写本見たさに頭から黒い布被ってね。そうそう、ヨーロッパの写本も 見てますよ。
どの本も読めたものなんかないですよ。でも懲りずに見に行くんです。ええ。今気がついたらアラベスク文様よりも本全体が見たくなっていますね。どうしてでしょう。
どちらかといえば古くて武骨な作りものが好きです。初めに見たものの影響ですかね。特に宗教書ね。「これだけは 伝えなければ」っていう気迫が、読めない文字の間からひしひしと伝わる。あれがいい。絶対的な真実をこの一冊の 中に閉じ込めてあるという作り手の自負っていうのかな、自分のために作るなんていう甘い状況はありようがない。 版元のマドレセも、手写した神学生も、製本しただれかも、神の言葉は真実で、真実は美しいと、信じている。そし てそれを本という形に結実させる。え、ファナティックですって、ええ、一歩間違えればそうなんです。でも、それに勝てるって本ってあります?
実はね、そういう本が作りたくて仕方がないんです。一冊だけでいいから。別に宗教書でなくてもいいんです。絶対伝えたい、美しいテキストであれば。一文字ずつ書いて、飾り枠描いて、花切れ編んで、革でくるんで、・・・・・・。 そんな、あきれないで下さいよ。ねえ。