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特集1 本を売る人 古本屋エッセイ集

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古本共和国 第12号('97)
『早稲田に書店を開業して』 江原町子  (江原書店)

周囲の大反対をよそに突然何の準備もなく古本屋を始めてあれよあれよという間にもう早いもので半年になりました。古本屋というものは確かにはたから見るほど気楽な商売ではなく、本が売れたら売れたで空いた棚を埋めるべく本を求めて走り回らなくはならず、もちろん売れないときには動かない本棚を眺めては、ため息をつき、今月は家賃がはらえるかしらなどと心配しながら、ひたすら待つしかないといった案配です。

まあいかんせん売れない事の方が多いので焦っても仕方が無いと諦めて、達観するところに、不機嫌そうで居ながら妙に閑暇な様子を漂わせたあの古本屋独特のおもむきというのができあがるのだなと実感している今日この頃です。

穴八幡近くのはずれだとはいえ、やはり早稲田の古本屋街の流れにつらなる場所だけあって、まだ開店して半年あまりですが、いろいろなお客様にご来店いただきました。新米の店主よりもお客様のほうがよほど本のことに詳しく、あまりの無知に冷汗をかきながらも、勉強の毎日です。

というのも古本屋を始めるにあたってまず始めに古書組合に加入し、2、3年市場で勉強しながら、本を集めて、その後に本格的に目録販売でもしようかというような心づもりで、古書組合加入の申請をしたところ、どこかに店舗を構えているというのが加入条件という事で、やはりそう簡単に素人の加入は認められそうになく、それならばと無謀にも店舗をまず借りてしまったというようなわけです。

それでようやく古書組合の加入が認められ、あっというまに店の内装が終わり、棚が入り、開店ということになってしまいました。早稲田という場所柄お客様は学生さんか大学の先生に限定されることになるのかなと思っていたところ、さすが伝統のある早稲田の古本屋だけあって、外からのお客様も結構おみえになります。

開店早々は、ご来店下さるお客様をどんな態度でお迎えしたらいいのか、迷ってしまいました。再度ご来店のかたにはご挨拶をしていたのでしが、なかには挨拶されるとほしい本がなくとも買わないといけないのではないかと、無理をされている様子もうかがえるので、とかく古本屋は無愛想といわれますが、それも故なきことではなく、あまり愛想がよいのも、かえってお客様のプレッシャーとなるようで、それに気づいてからは自然体で行くのがよいと思うようになりました。

何と言っても古本屋冥利につきるのは、「ああ、こんなところにあった」と、長い間探し求めていた本を書棚に見つけ、お客様が喜んでその本を買っていかれるときです。 そういう本が必ずしも高価な本に限られているわけではなく、均一本の台に並んでいるような本であったり、長い間あまり手にとってみられることもなく、本棚の片隅に眠っていたような古本屋泣かせのほんであることが多いのも一つの発見でした。

まさに本と人の出会いは一期一会ということでしょう。

古本屋の店番をしているのは女性が多いのに、本屋で本を手にしているのは以前はほとんど男性ばかりであったように思うのですが、最近では結構古本屋にも若い女性の姿が見られるようになりました。女性なら興味をもたれるのではないかと、女流作家のものや女性解放の歴史や啓蒙書、思想書といったものを、最初は意気込んで棚に並べてはみたものの、全くといっていいほど反応がありませんでした。

当然のことながら、良書の男女差はなく、一般に女性は本を買うにもとても慎重で、たとえ一冊の本でもかなり長い間思案されたうえ、結局はまた元の本棚に返してさっさとお帰りになる方が多いようです。

いつのことでしたか、午前11時の開店と同時くらいに入ってこられて、お昼をすぎても不動だにせず一心に松本清張の推理小説に読みふけていらっしゃった若い女性がありました。普通長く立ち読みされる方は、何となく気後れするのか、店番の方をチラチラ見る方が多いのですが、その方はいたって堂々としたものです。

こちらはその間にお昼も済ませ、賛辞のコーヒータイムもすませ、おなかはすかないのかなあと人事ながら立ち読みの方が気にかかります。物事も佳境に入ってきたでしょうか、本を読む目つきがさらに一層真剣さを帯びています。残りの貢もあとわずか、ここでいよいよ一挙に今までの謎が解明されるのでしょう。

一瞬私にも全く葛藤がなかったとはいえません。折角ここまで読んだのだから最後まで読ませてあげたいという自然な人情、また一方でたとえしがない駆け出しでも、店を出している以上古本屋、本をかっていただかないことには商売になりません。二月の底冷えのする日、全くお客の来ない日がありました。

寒い店の中で震えながら店番をしていると南極に取り残された越冬犬の気分さながら、どうして古本屋なんか始めたのかしらと後悔の念がよぎるのがつらかった日のことも頭をかすめます。そしてついに古本屋の意地が勝ちました。「お客さんいいかげんにして下さい。ここは図書館ではありません、うちは本屋です。」と言うと、彼女は残念そうに本を本棚に返しながら、無言で憮然とした表情で店を出て行きました。

彼女が読み残していった三百円の売値がついた松本清張の本は、その後もまだ売れずに本棚に残ったままです。まぁ、ちょっとした出来事なのですが、それでもこんなささやかなドラマが単調な店番のよき活性剤となっているのです。現実にしっかりと根をおろし、生活に密着している女性にとって、書物はどこまでもいっても人生の副次的なもので、男性ほどに寝食忘れて熱中する対象になりがたいのは、同じ女性としてよくわかります。

したがって古本の世界はいまだ圧倒的に男性中心の世界といえますし、当店でも本を切実に必要とされ熱心に本を探されるのはほとんど男性のお客様です。

開店するにあたっては何か専門ももつようにと先輩の同業の方々から親身なご忠告を受けましたが、どうも当方気が散りやすい性格のためか、結局は十坪足らずの店に種々雑多な本が並ぶことになってしまいました。

最初の物珍しさも手伝って、おもしろそうだなあと目につく本を行き当たりばったりに仕入れたものの、棚におさまりきれずたちまち店内に山積みとなってしまいました。「玉石混交だが、おおむね雑然としていますな」と感想をもらした方がいらっしゃいましたが、「一体何が専門ですか」と聞かれても、答えに窮する始末です。

ただ専門書、学術書に偏たらないで、暇つぶしに読めるような大衆的な読物、雑誌、児童書、料理などの実用書、漫画なども置いて、女性、子供にも入りやすく、明るくカラフルな店にしたいなあと、当初から何となく漠然としたイメージを抱いてはいたのですから、これで落ち着くところに落ち着いたのではないかと思えるものの、あまりのとりとめなさに、何でもあるのは、何もないと同じでかえって本が選びにくいという結果になるのではないかと、危惧したりもしています。

ともかく、店内の雰囲気ほど、店主の性格や好み、あるいは健康や精神状態にいたるまでこれほど如実に映し出しているものはありません。疲れてやる気がなくなると、店内もなんとなくしまりがなく、ほんの並べ方もちぐはぐで、どことなく停滞して淀んだ感じが漂ってきます。

また逆に店主の気力が充実してくると、棚の本一冊一冊によく目が行き届き、生き生きとした気分がみなぎるようになります。店主とて生身の人間ですから、気分のいい日も、悪い日もありますが、なるべく日々爽やかな気持ちで過ごしたいものだと自戒しております。言うまでもないことですが、千客万来で、本がよく売れることほど古本屋の店主を元気づけることはありません。

いわば組合加入のため半ば仕方なく早稲田に店を開いたわけですが、これはまあ言ってみれば泳ぎを知らないものが海に突然放り込まれて、ただやみくもに手足を動かしてアップアップしているような状態です。それでも同業の方の見よう見まねで本を並べ、細々見せも維持できており、何とか今のところは溺れずにすんでいるわけで、思い切って海に飛び込んでよかったと思っています。

いつのまにか泳ぎをおぼえて、どんな荒波も平気な強靭な泳ぎ手になれるのか、それとも泳ぎを体得するまえに、力つきて溺れ死にしてしまうのか、先のことは全く予測はつきませんが、今しばらくは書物の海を泳いでいたいと思います。

古本共和国 第12号('97)

2004年07月21日

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