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特集2 早稲田古書街の歴史

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古本共和国 第1号('86)
『三十年を回顧して』=断片的私の戦後史=鈴木 藤好 (西北書房)

「光陰矢のごとし」と云うが歳月の流れは実に早いものである。私が早稲田に店を出してから三十年にも成るのであるが、つい昨日のように思われる。あの頃を思い浮べ誠に感無量のものがあります。今回計らずも心に残っている事、印象に残るエピソード等について書く様にとの事でありますが、私はあまり記憶の良い方でもないし、きっちりとした記事は、どなたかゞ書いて下さるだろうと、自分勝手に決め込んで、思い付くまゝを書かせて頂く事にした。

昭和二十三年、兄の復員を待って、故郷の山形から上京したのが、私が二十三才の春でありました。戦後の私は軍国少年。失望のどん底。再起の志・挫折・無頼と千変万化の家庭を辿って来ました。当時を振り返ってみますと、敗戦のショックから立ち直るまでの三年間は、自分自身の精神的な葛藤に右に左に大きく揺れ動いた時代で有ったのです。

私は始めから古本屋になる積りで上京してきたわけでは有りませんでした。たまたま上京してお世話に成ったのが、同郷の本屋さんだったのです。一週間居候のような生活をして居りましたが、その間になんとかみの振る方を決める積りでいたわけです。

毎日商売を見聞している内に何となく面白そうな営業内容に興味を覚えるように成りました。或る時、「私でも本屋になれるでしょうか」と御主人に伺った処、江戸っ子で、気さくな御主人は「誰にでも出来るけど、面白いかどうかは各人の努力とセンスだね、本屋になるかどうかは別としてやる気が有るなら手伝ってみるかい」と云う事に成り翌日から店番やら掃除を手伝う事になったわけです。

丁度その頃は古本屋の全盛期だったのでしょう。生活もやゝ落付き、序々に古書ブームが始まったころで、読者は活字に飢えていて本であれば手当たり次第買って読むと云う状態でありました。岩波文庫を買うのに書店の前に行列が出来たのも此の頃の話であります。

其の店は、独特な営業形態で読者から注目されている様でした。常連のお客様の中には江戸川乱歩、木々高太郎、横溝正史等の探偵小説作家の方々が入れ替わりに立ち寄られては、「譚海」・「新青年」・「探偵クラブ」などと云う雑誌を十冊、二十冊と買って行かれました。私など只々ビックリするばかりでした。註(当時で一冊二千円〜五千円位だったかな?)数年後それ等の作家先生が次々と新作を発表し文壇に一大探偵小説ブームを巻起したのです。

其の時は考え及ばなかったのですが、古本屋として扱っていく本と云うものは、今後どんなものを読者が要求して来るか、社会が、どう変わって行くかを自分なりに見極めて、時代を先取りして行く「センス」が重要なポイントである事を教えられたのでした。其の後同郷の先輩から、独立して古本屋になる気なら専門書を覚えた方が良いのでは、とのアドバイスを頂きました。

昭和二十五年丁度神田へ進出して来られ、人手不足で困っていると云う書店へ紹介して頂き本格的な古本屋修行に入ることに成るわけです。其の御主人は社会科学関係を御自分でも勉強されて居り、とに角真面目な努力家として同業者間でも評判の高い人でありました。

朝八時から夜十時までそれこそ目が廻る様な毎日で、月二回の定休日には疲れ果て、昼頃迄寝入って仕舞う状態でありました。そのお店で五年間、専門書のノウ・ハウを習得する事に成ったのです。

当時神田にも露店が沢山出て居りました。神田日活の前とか、すずらん通りには二〇軒ぐらいの古本屋が裸電球の下で結構商売に成って居たものでした。生活はまだまだ貧しかったけれども、人の心の温かい良き時代の思い出です。

昭和三十年独立を決意、お店も円満退職しその翌日から風呂敷を抱えて「セドリ」をしながらの店探しが始まったのです。小田急沿線から京王線沿線と終日歩き回る生活が半年位続いたゞろうか。手頃な店が有っても手持資金では手も足も出ない状態で仕方なく、あきらめざるを得ない事も何回か有りました。

折も折幸い早稲田の先輩の文英堂書店の吉原さんが、営業所を移転されることに成りわざわざ夜遅く、私の仮住まいのアパートに来て下さったのでした。早速翌日大家さんと三者で契約と云うことに成り、入居することが決定、早稲田での第一歩を踏み出す事に成ったわけであります。「金のないのは首がないのと同じだ」と云われますが、当時退職金と自己資金とを合わせても権利金の頭金ぐらいしかありませんでしたので、金策には人一倍苦労したものでした。しかし、やる気で頑張って行けば、世の中良くしたものですね。「敵千人味方千人」で私の様な者でも拾って下さる神も有るものです。

開店して半年、午前中は仕入、午後は店番とハードな毎日で心身共に疲れ果て、遂に過労の為め寝込んで仕舞ったのです。男ヤモメのみしめな「せんべい布団」の中で男泣きした事も有りました。今後営業して行くには嫁さんを貰わなければと云う事に成りましたが、これが又大変な事なんです。

現在の女房は田舎の問屋さんの娘で、当時親のすゝめる結婚話をきらって、上京して神田の本屋でアルバイトして居りました。私とは比較的仲が良かった事も有り、「当たって砕けろ」の気持白羽の矢を立て、積極的な攻勢をかけて行ったのです。「案ずるより生むがやすし」で私のラブアタックに対し、本人OKとの反応を示して来ましたので、早速女房の両親との話合いと云う事に成り、単身敵地に乗込む意気込みで実家へ伺ったものでした。

八月の暑い盛り、女房の実家には、親族数名が今や遅しと私を待ち構えて居りました。古本屋と云う職業について入れ変わり立替わり質問してくるのには、ホトホト閉口して仕舞ったものです。註(一般的に古本屋について知らない人が多かった)しばらくして義父が開口一番、「私の娘は商人でなけらば、嫁にやらないと思って居た処なのです。貴方にお任せしましょう。娘を幸せにしてやって下さい」とその言葉を聞いた時にはホット胸を撫で下ろしたものでした。そんな経緯で即固めの盃と云う事と成り、集まっていた親族と私共二人での仮祝言。翌朝二人で東京へ即店番と云う超過密なスケジュールは一流タレント並でありました。

其の頃の早稲田の様子は、今の様に十時に成っても店が開かないなんて云う事は無かったですね。朝八時開店、店の掃除が終わってから朝食と云うパターンはどこの店でも同じであった。その時分に成ると店の前は、通学の学生さんが引きも切らずで、食事中にも二、三人の学生さんが本を売りに来る状態で、ろくに食事も出来ないまま急いで棚の整理をして市場へ出掛ける毎日でありました。

夕方市場から帰ると、ほとんどの棚がガタガタ傾いている。早速仕入て来た本の値付け作業に入るのです。午後五時頃からは学校から帰る学生と、二部(夜間部)の学生とで店の前は銀座なみの混雑でありました。勿論座って店番なんかして居られません。夫婦二人で立ってお客様に対応していたものでした。本の買い方なども現在とは比較に成らないものでした。「此の本は先輩から必ず読めと言われて居たものです。今は読む暇もないが買って置きます」と五冊、十冊とまとめて買って呉れたものです。本当にそんな毎日が何時まで続くのだろうか、身体は大変だけれども、気分は上々、鼻唄も飛び出す始末でした。今思い出しますと夢の様な話で、良き時代では有りました。

昭和三十八年開店の為の借金も返済、ホット一息する間もなく、大家さんから家を買って呉れないかとの申し入れがありまして驚いたり、喜んだりで又々借金街道を歩く事に成ったのですが、大家さんの都合で家が第三者の手に渡って仕舞ったのです。四、五日すると、例に依って黒眼鏡のお兄さんが日参する事になるのです。「此方の言い値で買わないのなら早々に立退け」と云うわけです。早速先輩に相談、弁護士に先方との交渉一切をお願いする事にしたわけです。

延々二ヶ年に亘る調停裁判が続きましたが、其の間「手を替え、品を替え」でいやがらさせの毎日に女房は精神的に参って仕舞い、一時実家へ静養に帰って仕舞う一幕も有り、本当にいやな思いをしたものでした。ようやく話合いが付いて、待望の自分の持家と成ったのですが、戦後のバラックで「雨もり」はするわ、それに毎晩天井裏で鼠の運動会で、其の内寝ている枕元を我がもの顔で歩き回る始末には本当に閉口したものでありました。

やがて新潟の総理大臣が「列島改造論」をぶち上げたお陰で世の中の景気は天井知らず、私の店でも全集ものセットものが、バンバン売れる始末でありました。「おごれる者久しからず」の譬に倣い其の後に備え無駄なものは一切買わない方針を固めました。註(テレビ・洗濯機等はもろいもの)。

其の内、地主さんから土地を買って呉れとの申入があったのです。本当に狐につまゝれた様で目をパチクリさせたものでした。多少の貯えも出来て居りましたので即話合がまとまり、登記を終えヤレヤレ。あの時の充実感は計り知れないもので有りました。

丁度相前後して私の眼が急速に悪く成り両眼とも〇・〇二と云う最悪の状態に成って仕舞い、毎日が不安とアセリから序々に精神不安定と成り、人間ぎらいで余り店番もやらなく成り、口数も少なく全く別人の感が有りました。そんな私など相手にして呉れません。自分からそう思い込んで仕舞って居りました。多分その頃だったと思いますが、大久保の井上さんと知り合ったのでした。以後井上さんには一方ならぬお世話に成るわけです。

その内、都市計画で地下鉄東西線の工事が初まり、早稲田村にも近代化の波が押寄せて参りました。其の頃に成りますと、神田で修行した若手の方々が、次々と独立開業して現在の早稲田古書店街の様相を呈し初めた頃であります。しかし乍ら、第二次石油ショック以後、徐々に購買力が低下していきました。何故だろうか、世間で言われている活字離れから来るのだろうか、専門家していないからだろうか、等々試行錯誤を繰返し乍ら、早稲田班の宣伝部広告研究会・班長等が、中心と成って其の打開策として「青展」の開催を決定しました。

かつて高田馬場西武線横の広場で第一回新宿青空古本まつりを実施した時には当時の支部長二朗さんをはじめ、早稲田の若手の方々が中心と成って成功した実績が有りますので、古本祭りの開催については、かなり積極的な意見が有ったのですが、なかなか実現されないまゝ今日に及んでいるわけです。一方、幸いにも私の眼が手術の結果、片方だけですが視力〇・八と云う状態に回復、一応人並に仕事が出来る様に成ったのです。皆さんには永い事大変御迷惑をおかけして来たものです。多謝。

古本共和国 第1号('86)

2004年07月21日

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